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Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

ネット通販に思う


大企業が生き残りを賭け、吸収合併・企業買収・グローバル化等により統合され、またロボット化されることでより巨大化する中で、雇用者は減少の一途を辿った。特に製造業における合理化は、日本が「世界の工場」であった期間を通じ驚異的な進展を見せた。そのお陰で、日本の第一産業10%・第二次産業15%・その他75%という歪な産業構造は生まれた。だが、今のまま、75%の人間が25%の人間にぶらさがって生きて行くことなどできない。そんな「帳尻が合うはずはない!」だから、今のままの産業構造で行けば、生産に関わる25%程度の人々は生き残れても、残りの75%の人々は「紙切れ(=紙幣)」を握りしめ、飢えに苦しみながら路頭に迷う日が遠からず訪れる。

「働かざる者食うべからず」とは言わない。が、「生産に従事していない人は、食いっぱぐれる」こととなる。それが、異様なほどに人口を増やし、尚且、異様なほどに生産人口を減らし続けている社会の末路であることは疑う余地がない!そのことに気付いた人から、自らに合った「生産」に関与を始める。それが、突破口となる。「無から有を生み出す」ことに精を出さなければ、残された僅かばかりの「有」を75%の人々が奪い合うこととなるのは必定だからだ。だから、人々が今為さなけれならないことは、「明白」だ。

(つづく)


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ネット通販に思う


だが、「インターネット」というものは、「中立性」を担保できるような成り立ちを有している。その「中立性」は、利用者側の「意識次第」で、もっと確たるものにすることができる。だが、生産に関わる人がたったの25%で、残りの75%は資本主義のオコボレで糧を得ているのが実態だとすれば、「利用者側の意識」とて、3/4は毒されてしまっていても不思議ではない!そして、それが紛れもない「現実」だ。
だが、だからこそ、心ある若い人たちが、「誇りを持って生産に勤しみ、その産物を直販するシステムの再構築を始める。」単位は小さければ小さいほど良い。大量生産品を大量に捌くとなると、どうしても無駄が出るが、少量の産品を特定の利用者に使っていただけるのであれば、無駄は最小限に抑えることができる。つまり、生産者が多ければ多いほど、そして、生産規模が小さければ小さいほど、需要と供給を一致させて行くことは容易い。実は、資本主義における「成長」には、「需要と供給の不一致から生じる膨大な無駄」までがカウントされているというのが実態だ。勿論、最初から「そう」だった訳ではない。が、「成長」至上主義が独り歩きを始め、資本主義の原理化が進む中で、「この粉飾された数字」は膨張を続け、今日に至っている。

(つづく)


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ネット通販に思う


ここに、私達の文明と人類の、如何ともし難い愚かさがある。それを、これ以上放置させてはいけない。だから、勇気を持って、後退をしよう。「無から有を作り出す働き」を復活させ、その産物をネットを通じて、求める人々に届けよう。個々人が「まっとうに生きる」ことを取り戻せば、それを発信して、受信する人々と新たな輪を構築して行くことができる。間違った方向に固執する「政治」を排斥することで、平和で活力ある世界を蘇らせることはできる。極言すれば、「政治」とは「権力」そのものだ。それは、限られた人間が自らへの「利益誘導」に正当性を付与するための手段に過ぎない。だから、本当の意味の「自由」とか「民主」を成り立たせたいなら、できるだけ多くの人々が「非政治的」に「反権力」という立場に立つことが肝要だ。

ネットならそれができる。「声なき声」をつなぎ、「個々人をつなぐことで、人々や自らを組織から解放することができる」。人間の持つ創造性は、生産に従事することで磨かれる。「すべての源」は「自然」にあり、人間の思考の原点は「自然科学」にあるからだ。そこが、AIとの大きな「差」だ。人間が自然科学を基に築き上げてきた文明は、機械の登場によって変節し、人々はその圧倒的なパワーの支配下に置かれる立場となった。たかだか200有余年という歳月は、人類を主役の座から引きずり下ろし、機械をボディガードに据えた「一握りの支配者たちによる支配構造」を露わなものとして来ている。今のAIは、この200有余年で不動の地位を築いた「資本主義」を、その間に掻き集めたビックデータを駆使して守り通す。そのために必要なパラメーターを基軸に据えているので、「自然科学も人間性も」、「資本主義」に敵対する部分があれば、剥き出しの攻撃に晒される。権力を持ち支配する側が、世の中の構造を自分たちの好き勝手に操作できるように切り替えてしまっているからだ。

(つづく)


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ネット通販に思う


私達は、200年以上に渡り、遮二無二に「便利さ」を追い求めてきた。が、それは資本主義が標榜する「消費社会」とその指揮棒を振る支配者に踊らされてきただけのことだ。。私達は、誰かのために生きているわけではない。自分自身のために生きている。だから、自らの「充足」なしに生きても、「満足」は得られない。「満足」を得るために、私達はもっと「為すべきことを為さねばならない」。その為すべきこととは、自らの「頭」と「体」をもっと動かすことだ。若い人たちには「自然と共に生きる」ことを実践して欲しいと願う。「農業」は、その意味で最も「人間的な」生業だ。そうした「人間的な生業」を復活させることでしか、私達が失ってしまった「人間性」を取り戻すことはできない。それほど、私達は「不確か」で「心もとなく」、「不慣れ」で「見知らぬ」地に足を踏み入れてしまっている。

「人生100歳時代」が到来している。その勘定で行けば、200年は、自分の生の倍の年月でしかない。たったそれだけの期間で、私達の文明は人口を爆発的に増やし、資本主義一辺倒の世界を築き、二度の世界大戦を含む大量殺戮を繰り返して来た。その挙げ句に、地球温暖化を許容し、自然が猛威を奮うことにも「為す術なし」という態度を崩さない。そして、性懲りもなく、歯止めもなく、資本主義経済を成長させるためには、「どれほどの犠牲も厭わない」としている。それを、理性を逸した支配者が言い張るのであれば理解できる。が、支配される側の者までもが口を揃える。

(つづく)


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ネット通販に思う


しかし、だからこそ、今、生産に関わることの優位性は、いつになく高まっている。経済の大原則である「需要と供給の関係」は、いつの世でも変わることはないからだ。自らが製造または生産したものを、直販する。それがネットならば適う。宣伝広告に多大な出費をせずとも、良いものを作り出せば、「欲しい」と思う人が「検索を駆使して」見つけ出してくれるからだ。今やネット広告は、大枚を投じても、効果はほとんどと言ってよいほどない。グーグルアドワーズやクリティオを見るまでもなく、「需要」のあるもの「希少価値」のあるものに人々の目が向くように仕向けられているからだ。

200年以上に渡って第三次産業側に振れ続けていた「振り子」が、第一次産業側へと戻る。これは、「必然」だ!そして、それが「振り子」であるかぎりにおいて、「振れ幅」は半端なものでは終わらない。一方に振れ続けた分だけ、今度は逆方向に振れる。そうして徐々に「均衡」は保たれるようになっていく。200年以上をかけ温暖化を続けてきた地球は、徐々にであれ二酸化炭素の排出量を減らして行かなければ、猛り狂うばかりだ。人々は、人力を主体とする第一次産業に戻る。ロボットや機械に頼ることなく、地道な「草むしり」に費やすのと同様な労力と丹精を込めて農作物を作る。それが、昔日の様に人々の頭を活性化させ、理に適った考察を養い、体力増進や健康維持にも役立つ。そして、多くの人力を要することで、多くの人々に安定的な実収入をもたらす。それが、ごく自然に、経済を「まっとうなもの」に押し戻すこととなる。

(つづく)


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