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Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

橋渡し


「新型コロナの感染、10万人超 3ヶ月で世界的流行に」と今日の日経電子版が伝えている。テレビをつけても、新型コロナの話題でもちきりだが、ついに「欧米が牽引するグローバル経済が、新型コロナに感染した!」という感が強い。

私が何度も言うように、「新型コロナの元凶は地球温暖化だ」。だが、地球温暖化が災害を引き起こそうとも、局所的な「甚大な被害」なら、グローバル企業に取っては「儲け口」に過ぎない。トランプみたいな奴は、「そう」考えて、地球温暖化を放置することに余念がなかった。だが、「そう」した「浅はかで、都合が良い考え方」がいつまでも通用するほど「自然(=神)」は甘くない。地球温暖化を放置すれば、それが日に日に手を付けられない状態になっていく。「経済を最優先にする」というグローバル経済の行き着く先は、「地球全体を、人類が平穏に暮らしていく場から、常に自然災害の猛威に晒される場に変貌させる」ことなる。

「新型コロナ」は、本当なら、それほど恐ろしい「病」とは私には思えぬ。だが、グローバル経済の進展に連れ、大量の人々が飛行機や大型船などで高速に行き交い、換気が十分とは言えない屋内で「巨大なイベント」が日夜繰り広げられる。そうした環境下で音もなく感染が拡がる様に、人々が恐れを抱くようになってきた。私は、人々はもっと「正確に」、地球温暖化にこそ恐れを抱くべきだとは思うが、今の「異様な経済優先意識」に陰りが生じるなら、この「病」は人類にとっての「良薬」になるとも考えている。

「新型コロナ」によって、「世界の工場である中国」で一時生産が止まった。日本や世界の経済も、自分たちの経済が「如何に、歪に中国に依存しているのか?」肝に命じることとなった。それを遅まきながら、トランプも安倍も知ることとなった。外需に頼るグローバル経済は、「人間の欲得」を開放し熱狂的な興奮状態を継続させる。つまりは、人々を「熱病」状態に置き、必要以上の消費を迫り続ける経済だ。それが、人々に渡航制限をかけることで、停滞を来し始めた。消費を迫り続けるために、投じ続けられてきた「投資マネー」はバブルで膨張したが、これが「本来の大きさにまで収縮する」。リーマンショックの再来となることは必至だろう。日本経済は、その脆弱性を露わにすることとなる。日本だけでなく、アメリカもまた、生産能力の多くを中国に依存していながら「経済を牛耳っているつもりになっている」。そうした国々は、自分たちの「愚かさ」を思い知ることとなる。

(つづく)


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橋渡し


私達の暮らすこの水の惑星=地球の「持続可能性」は、今どういう状態になっているのだろう?

理由の如何は別として、地球の温暖化が進行していることを否定する人は居ない。

産業革命以降の気温の上昇はデータとして残されている。

が、私達は相も変わらず、化石燃料を燃やし、それをエネルギーとし、工場を稼働させ、車を走らせ、世界中の都会を不夜城としている。

産業を活性化させ経済を成長させるとして、人為的に地球を暖め、大量の二酸化炭素を放出させている。

世界一の経済大国のアメリカと、第二の経済大国の中国は、この人為的な温暖化を「やむなし」とし、地球の「持続可能性」に関しては、「知らぬ存ぜぬ」を決め込んでいる。日本も、この二大国の経済成長を羨み、そのおこぼれを頂戴したいと躍起になって尻尾を振り続けている。エネルギーに関しては、大事故を起こした「原発」にも平然と未練を残しつつ、二酸化炭素放出量の多い「石炭」の使用も厭わない。

(つづく)


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橋渡し


人間は、一人では何もできない。人が何かを成し遂げることができるとしたら、それは「人とのつながり」の中で、各々が自分の「ちから」以上の「ちから」を発揮できた時に限られる。

エアを「みんなに背負ってもらえる」様な形に、変えた。なぜか?と言えば、私が仲間と考えてきた同年代がすっかり歳を取り、もう「ちからを発揮する」という思いを失ってしまったからだ。私自身は、まだしぶとく自分のちからを発揮したいと念じているが、一人でできることなど知れている。

人間は地球上で唯一の「夢見る」動物だ。だから、10代半ばから20代後半くらいまでは「血気盛ん」に「夢を追いかける」。が、30代に入ると「安定」を求めるようになる。夢の達成の困難さを知り、また生計を立てないと生きていけないため、一旦「夢をお預け」とする。しかし、「夢見る動物 」である人間は、そんなに簡単に「夢を捨て去る」ことはできない。だから、30代半ばから、今度は「夢をライフワークとし始める」。「夢を生きる時」を再スタートさせる人たちが出て来る。

エアのみんなも、そうした年代となった。だから、自分と同じ年代の中から「推進力」を持った人を見出し、お互いを「高め合える」関係を構築して行くことに励んでほしいと願う。今の世界は、「軌道修正を図らねば」、欲得の暴走ゆえに大変な「苦難」を背負い込む道をひた走っている。それを、「持続可能性」「再生可能性」をキーワードに、「自分たちの叡智を結集して」制して行く。そこに、自分たちの「意識」や「志」を集中させて行って欲しいと願う。

今年で69歳となる私にできるのは、その橋渡しだ。
若い人たちの「思い」に耳を傾け、「地球温暖化という人災=人類最大の危機」を共に回避させて行きたい!

(つづく)


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未来への投資


⚫教皇フランシスコが語ったこと

それは、「嘗てないほどに蔓延している不平等」についてだ。そして、世界の主立った強国の政治家がしがみついて離さない「核兵器」についてだ。
世界の富豪上位26人が独占する資産は約150兆円に上り、世界人口の半数に当る貧困層38億人が持つ資産とほぼ同等だという。26人の内訳はアメリカ15人中国6人フランス2人、スペイン・メキシコ・インド各1人だが、この内核保有国でないのは、スペインとメキシコだけだ。因みに核保有国は以下の9カ国アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国・インド・パキスタン・北朝鮮・イスラエルに限られている。
民主主義の旗手を自認するアメリカで進行する嘗てないほどの不平等は、「法の下の平等」と背反している!が、それを指摘する人は居ない。そうした現状を、教皇は「欺瞞」という言葉を通して揶揄した。そして、「核兵器」については廃絶に向けて、「直接的な行動を起こさなくてはいけない!」と世界に発信した。オバマ前大統領を除くと、こうした声を発した世界的指導者を私は知らない。だから、教皇の言葉は多くの人を奮い立たせた。「非人道的な行為には、異を唱えなくてはいけない!黙っていることは、何人と言えども許されない!」というメッセージは、明快この上ないものだった。

だが、教皇の帰国と共に、教皇が日本で巻き起こした「熱狂」は引き潮のように影を潜めた。嘗てない「不平等」が、自分たちにも及ぶ「貧しい未来」という現実を喚起させたのだろう。だからこそだが、私たちはここで「手をこまねいていてはいけない!」世界の富豪上位26人は、一人当たり1億4千6百万人もの「奴隷を付き従えている」。米中という2つの超大国だけに限れば、アメリカ人の富豪15人が22億人、中国人の富豪6人が8億7千万人の奴隷を抱えていることとなる。が、中国の人口はそもそも7億人程だから、アメリカほどに「罪作り」ではないとも言える。中国は民主主義を唱えている訳でもないからだ。だが、アメリカによる世界支配は「悪辣」過ぎる。そもそもアメリカは、「黒人奴隷」を非人間扱いし国力を高め、武力を盾に現在の地位を固めてきた。だから、核兵器を手放す気もなければ、経済を武器に「世界支配」を続けることは「当然の権利」だと考えている。気候変動の主原因であるCO2の排出量に関しても、米中が突出して高い。が、そうしたことがアメリカの世界戦略上欠くことができず、その一国支配に対抗する中国も同じ様に競う限り、気候変動に歯止めはかかることはない!

つまり、「核兵器の保有と非人道的な支配」は一対であり、それが人類史上最悪な「不平等」な社会を作り出している。私たちが「傍観し、声を上げない」限り、事態の悪化は避けようがない。「剥き出しの支配」を放置すれば、「冨の集中」は増々高まっていく。この冨の集中は、日本人が勤勉を通して必死に積み上げて来た「冨」をも取り上げていく。それは「必然」だ。グローバル経済に加わろうと藻掻けば藻掻くほど、一度「坂道を下り始め、長期低落傾向に陥った」日本経済が元に戻ることはない。だから、私は「たった一人」でも「38億人の一人とならない」ことを宣言しておく。宣言しないでいると、38億人は限りなく増えて行くからだ。

「経済成長と持続的社会を両立させる」というお題目が、人類の命題の如くに語られるようになってきた。が、そこにこそ「空恐ろしい嘘」が隠されている。今の経済は「成長」ではなく、意図的に「拡大」されているに過ぎない。爆発的に伸びた世界の人口に、化石燃料を掘り起こし浪費させることで、経済を無理やりに拡大させている。この経済の拡大こそが、「地球温暖化」の主要因だ。それが、「持続的な社会」を十二分に脅かしているに、私たちは「自分たちには無縁な経済成長という蜃気楼を、夢遊病者のように追い求めている。たった26人の人間に富を集中させるためだけに...。そして、地球を灼熱地獄に化すために...。

(完)

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未来への投資


⚫社会を変える

自分自身の、会社との関わりを変える。それは、取りも直さず、自分自身と社会との関わりを変えることに直結する。多くの人は、「いくら自分がジタバタしても、社会を変えることはできない」と思い込んでいる。「じゃー?一体誰なら社会を変えられる」と言うのか?答えは簡単だ。「変えたいと思う人間が社会を変えて行く」。「会社」という字を置き換えると「社会」という字になる。つまり、この二つは別物ではなく、「会社」というものは、「社会」を構成する「単位の一つ」だ。だから、「会社」を興すということは、「社会」に対し一石を投じることとなる。本人がそれを「意識するか?しないか?」は別として、たとえば「下町工場」みたいな製造業が次々を生まれて行くと、技術的な土台ができ、その中から大きく発展して行く会社も出てくる。また、製品の高度化も進み技術大国と呼ばれるほどの進歩を、その国にもたらすことにもつながる。

だが、出発点は少数によるユニットが一つのアイデアを形にすることから始まる。始めた時には、自分たちですらそれがどういう完成形として結実して行くか?分からない。が、試行錯誤の末、アイデアは徐々に形を成し、製品化される。その商品の売れ行きによって、「真似をする」小さな別なユニットが現れ始めるが、その経緯抜きに「商品」が一般化して行くことはあり得ない。「真似をする者」と「真似をされる者」とのせめぎ合いがあって、初めて供給体制は整い始める。需要は一人歩きをしない。供給体制が整わなければ、買いたくとも買えないからだ。だが、逆に大きなところが供給を一手に引き受けるようになると、市場は一気に供給過多状態に陥ってしまう。そうなってしまうと、供給側がいくら需要の喚起を促しても、人々の「飽満感」を取り払うことはできない。これが、私たちの目の前にある「資本主義社会の実像」だ。

今後1年間で、31万社に及ぶ中小企業が廃業に追い込まれると言う。会社が姿を消すだけなら、それを「ご時勢」と言って済ますことができるかもしれない。しかし、そこで糧を得ていた人々は「どうなる?」施設や設備は「どうなる?」それらが「無に帰した」時の「社会的損失」は埋めようがない!ではないか。それは今回の風水害で、「自宅とか生業とか財産を失い路頭に追いやられる人々」とも重なる。私たちは、これを契機に「資本主義社会及び資本主義経済」を捨て、「民主主義社会及び民主主義経済」に活路を求めたい。最も「自由と平等」を担保できる少人数でユニットを組み、製造や生産に関わる事業に勤しむ。生産は天然素材をメインに据えることとしたい。家具などは木材を中心としたものの方が使い心地も良い。大量生産ではなく、手作りの逸品とするだけの人的資源だって十二分にある。プラスチックだって、天然素材を使い最終的には土に帰るものが既に開発されている。私たちは、地球温暖化を阻止するだけの知恵を十二分に持っているのに、「今の経済成長を阻害しない」ことを第一の命題とするが故に、実践しようとしない。だが、その経済成長による冨の偏在は、「世界人口の1%に当たる富豪たちが世界の冨の82%」を掻き集めるに至っている。そうした不均衡を許すことが、地球温暖化を許し、世界経済をご破産に導こうとしているパラドクスが私たちの目の前で進行しているのだ。

これを止める者は、それに気がついた人間しかいない。とは言え、私たちが今できるのは、「社会を変えるために、会社を変え、自分たちと会社の関わりを変える」ことしかない。自分たちが生き残ることで、自分たちのアイデアを形にして周りの人々に見えるように掲げる。そして、その「真似をしてもらう」。それが「民主主義社会及び民主主義経済」への「はじめの一歩」となる。「見本」も「手本」もなければ、人々は動けぬ。私たちは、「自分一人の判断で、勝手に動いてはならない」という教育を受けてきたからだ。「長いものには巻かれろ」という教えを、ずーっと受け続けてきたからだ。
人類は気の遠くなるほど長い年月、自然の驚異から学び、自然の脅威から身を守る術を身に着けてきた。が、その果てに自然の調和を乱し、自然環境を破壊し、気候変動を招いている。私たちは、ここで立ち止まり、言葉を習得し生態系の頂点に君臨するに至った「意味」や「道理」に立ち返らなければいけない!嘗て、私たちは「崇高な理念」を抱いていた時期がある。自らの内に「神」をいただき、自然との調和を第一義とした時を共に過ごしたこともある。当時と比べれば、私たちは明らかに退歩を重ね、心身共に弱体化を遂げ、ついには腐り始めている。

群れないこと。小さいユニットを構成し、自由・平等の元に個々の能力を最大限引き出し、確かな何かを作り出して行く。大量生産ではなく、自分にしか創り出せないものを、精魂を傾けて生み続けることを生業とする。それが、個々を「より高潔な存在」として行く。みんなには、それを自分を通して子々孫々に伝えていく存在となってほしい。

(つづく)


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