売レない水、買わない水
商売も「競争」であってはならない。と、私は信ずる。なぜなら、日本の富も、日本の商売も「そうして」醸成されてきたからだ。私は、そこに「競争原理」を持ち込んだことが、今の日本の「体たらく」を産んでしまった主因だと考えている。だが、今はそれ以上は論じない。今言いたいことは、アメリカが切り捨てた急速濾過法による「飲用水の配給」を、日本はいつまで続けるつもりか?ということだ。そして、もしもアメリカ同様「水道」に代わる飲用水供給網を作りたいと考えるなら、そこに「競争原理」を持ち込んではいけない!すべてを「競争」に喩えたがるアメリカですら、「そう」はしなかった。すべての人にとって「なくてはならない」ものを、故あって「切り替え」たいのなら、「合理性」に徹し、スマートに「切り替える」。彼らは、それを「第一義」とした。それだけ、急速濾過法による水道水の危険性は、喫緊の問題として認識されていた。日本の宅配水を供給する側は、その「大元」を理解する「賢さ」を身につけなければならない。
(つづく)