売レない水、買わない水
だが、「水道水の安全神話」は、「臭いものに蓋がされたまま」になっている。「まだ」「嘘かどうかは明白になっていない」。だから、突き詰めて行って、これも「噓だったのか!」という思いをしたくないということなのだろうか?相変わらず、「日本の水道技術は優秀で、日本の水道水も良質だ。世界には、水道水を飲めない国が多いが、日本の水道水は立派に飲めるじゃないか?」皆がそう信じている(信じたがっている)。その上、少なからず自分たちは、その「水道水」をずーっと飲んで来た。それが、「妙な自信」になってしまっている。「水道水由来の発がん性物質は恐れるにたらない!」それが、世の大人たちの認識だ。そうした認識があるから、「せめて、子供たちだけでも良い水を飲ませたい」と思っても、自分たちは「我慢すれば良い」という納得ができてしまう。だから、「料理水と飲用水」を使い分けるという「器用なマネ」ができてしまう。
(つづく)