緩速濾過法と急速濾過法
緩速濾過法も急速濾過法も、「一旦人間に汚染された天然水を、元に戻す」ために、「人間が考え出した」。つまり、どちらの浄化法も目指したのは「天然水」であり、その「水質」だ。だが、自然界が掛けているだけの時間もスペースも労力も、人間界では「掛けよう」がない。時間もスペースも労力も、人間がその時持つ「時間の観念」に合わせ容易に端折られてしまう。人間の「知恵」では、人間の作り出してしまった「毒」は十分取り切れないのだ。だから、水俣でも足尾でもたくさんの人が命を落とした。
小島先生は、「天然水が一番安全で、一番おいしい」という言葉を残した。だが、人々には「この言葉」は届かないし、届いても「この言葉」の本当の意味は伝わらない。私たちが自然から遠のいた分、自然のシステムが持つ「奥深さ」が、人々には理解不能な「代物」となってしまっているからだ。
(つづく)