fc2ブログ

資本主義と民主主義


ここまで書き進めて、自分の中に「ある閃き」が浮かんだ。それは、目の前で展開されていることは、「資本主義と民主主義の戦い」だという「認識」だ。今までも、「資本主義と民主主義」という異質なものが同居している不自然さは、論じてきた。だが、その両者が自らの存在を賭けて「最終決戦」に臨んでいる。その「認識」が、自分の中で「クッキリ」と浮かび上がった。

資本主義は「資本家を王様とする」社会を目指している。だが、近代においては、その考え方をあからさま伝えては「多勢に無勢」となる。神や王やそれらの子孫が「王様」というならまだしも、自分たちと変わりないただの「人間」が、金持ちというだけで権力を恣(ほしいまま)にするのでは市民の「納得」は得ようがない。そこで、資本主義者たちは、共通の「敵」を作り出し人々の支持をつなぎ止めることに腐心してきた。共産主義を悪魔に喩え、自らを「民主主義」と名乗ることでイデオロギーの戦いをものにしようとしてきた。そして、自分たちの本性は隠したまま、税を自分たちの都合に合わせて使い続けてきた。その手口は、「用意周到」且つ「巧妙」だ。その上、資本主義の牙城は産業革命以降揺るぎのないものとされてきただけに、その手口には「年期も入っている」。だが、いくら本性を隠しても、資本主義である以上貧富の差は否応もなく広がってしまう。また、機会ある毎に資本主義国以外が有する「資源」にもちょっかいを出すため、「民主主義」に反する本性は、隠しても隠してもにじみ出て来てしまう。その度に、一般市民は「話がちがう」と騒ぎ始めるし、「資源」を有する発展途上国との軋轢も絶えない。

資本主義者たちは、この間に「何が人々を黙らせ、何が人々を従わせるか?」に関して、ある確信を手にした。それは、人々を「マネー漬け」にして操るという手法だ。世界には、有史以来二つの潮流がある。一つは「開発を進め、あらゆるものを人間の手中に収めよう」とする流れであり、もう一つは「自然との共存を求め、必要以上のものを自然から奪う事をしない」とする流れだ。「マネー」は、まず資本主義と対峙する労働者の懐柔に成功を収めた。そして、その余勢を駆って難攻不落と思われていた「誇り高い」後者の価値観までねじ伏せてしまった。

だが、この世に「万能」などない。絶大な「魔力」を持つ「マネー」も「両刃の剣」であることに変わりない。「民主主義者」を黙らせて置くためには、「資本主義」色は薄めたままにしておくしかない。そして、経済運営をうまくこなして、「公平感」もそこそこに保っていなければならない。少なくとも、過半数の人間に「マネー」の恩恵を示し続けなければ、資本主義政権は「転覆」しかねない。実際に、先進資本主義各国では、それが一時的ではあれ、「労働党」や「社会党」や「民主党」政権が誕生した。経済運営の成否一つで、政権は右から左へと容易に揺れ動いてしまう。だから、どこの国のどの政権も過半数の人間をつなぎ止めて置くために「税金」の大盤振る舞いを続けれなければならなくなった。だが、それは「税金」だけでは足りない事態を生んだ。そして、そのジレンマから抜け出すために、資本主義者たちは自らが編み出した「金融資本主義」への依存度を高めることとなった。しかし、「金融緩和」という策は「カンフル剤」の効果しか生まない割りに、強烈な「副作用」を伴う。それは、結局何度やっても事態をより悪化させる効果しか生まない。

「金融緩和の縮小」は2回目までが実施されたが、2回目にして既に大騒ぎを引き起こしている。「今年中には金融緩和をゼロにする」ことがFRBによって掲げられ、その実施は7回程度に小分けされる模様だ。その都度投機家たちが「博打」に出るのだから、市場が乱高下を繰り返すのは必至だが、はたして市場は最後までその体裁を保ち続けることはできるのか?どう見ても、「前途多難」と言う他はない。

(つづく)

コメント

非公開コメント

最新記事
プロフィール

窓男

Author:窓男
水は、あらゆる生命の細胞をくぐり抜けることで生き物たちを束ねながら、地球と成層圏を舞台に、輪廻転生をくり返しています。
私たちは、その再生を果たしたばかりの「天然水」をお届けする、「天然水道」網の構築を目指しています。

最新コメント
リンク
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード