アベノミクスとオリンピック
オリンピックが決まったことで、「消費税増税はほぼ決まった」と言われ始めた。無いモノを「蒸かして」見せる。そのことで、人々の「お祭り気分」を盛り上げる。そこで「浪費意欲」を掻き立てることができれば、アベノミクスを成功に導くことができる。だが、人々は「原資」を持たぬまま、消費増税も受け入れた上、「浪費」などできる余裕はない。結果、貧富の差は否応もなく拡がって行く。消費増税を果たした分だけは社会保障に宛て、オリンピックや震災復興を名目に建設や不動産業に回すお金は借金(国債発行)で賄って行く(*1)。結局、財政の悪化は止まらない。それでも、「オリンピック効果で経済は好転する」と政府は言ってはばからない。
オリンピック一つで経済が良くなるなら苦労はしない。ここ何回かのオリンピックで、開催した国がどれほど経済を好転できたと言うのか!2004年にはギリシャ(アテネ)でオリンピックが開催されたことをお忘れか?オリンピックを開催しても破綻してしまう国すらある。オリンピックは無いモノを蒸かして見せるには、格好のイベントであることは間違いない。だが、そこで沸く建設ラッシュの中で、首都直下型の震災が起きたら、一体どうなるのか?「最も巨大地震のリスクの高い地に、世界一の過密都市が存在している。」というのは、防災の日にNHKが放送した番組の一節だ(*2)。
人はなぜか?「バベルの塔」を建てたがる。崩れることを承知の上でも建てたがる。それが、きっと人間の習性なのだろう?と、昨今思う。「経済」もまた「バベルの塔」だ。無用に蒸かし(=バブル)、挙句に「借金」を天文学的に積み上げる。それが「孫子の代」にツケとして回る。私たちは、ほんの少し前のことだが「そうしてはならない!」と声高に誓った時期があった。が、直ぐに「痛み」に耐えかねて、借金地獄へ舞い戻る道を選んだ。それは、冷静な目で見れば「狂気の沙汰」だ。だが、人々は「クール」な視点をすでに失っている。「狂気の沙汰」を平然と許す社会に住む人々にとっては、「狂気」そのものが日常と化してしまっているのだ。
天然水の確保と供給の必要性を改めて思う。行き当たりばったりで動く社会は、十分な備えをしないままムードに乗って突っ走る。「絶対に起きる災害」に対しては、誰かが微力であれ、対応策を呼びかけて行かねばならない。それが自分(たち)の使命だと考えている。そして、「絶対に起きる資本主義の破綻」に対しても、経済の再生の糸口だけは残して置かねばならない。どんな経済であれ、第一次産業を基盤としないかぎり成り立たない。中でも農業は要だ。作物は、種と土地とお天道様と水と人間の労力さえ掛ければ、いくらでも再生が効く。無から有を生む。この営み以外に「富」を生み出す術はない。再生可能なものが、人間のお腹を満たす。それが、人類の未曾有の発展を可能にしてきた。漁業はちょっと違う。同じく天然資源ではあっても、取尽してしまえば無に帰す。石油も天然ガスも然りだ。林業は、少し農業に似ている。だが、その再生には時間が掛かる。だから、再生に合わせたスピードで使うというバランス感覚を要する。多分、そこが今の人類が最も必要としている観点だ。
急激に伸びた人口に合わせるように、経済は成長を遂げた。そこに於いては、資本主義は適宜だったと言えるのだろう。だが、成長に合わせるように皆が王様のようなつもりになっても、それを支える切ることなどできない。有限な天然資源が、無尽蔵と思えるほどあった時期は良かった。だが、再生が可能でないものは、使えばなくなる。そして、そうなると私たちに残されている「富」の源泉は、農業しかない。増え過ぎた世界人口を養うためには、みんなが本気で農業に力を注ぐようにしなければならない。だが、王様は労働を嫌う。種や土地やお天道様や水があっても、人が労力をかけなくては作物は育たない。そして、耕作放棄地の拡がりで土地は荒れ、森林の伐採や地球温暖化の影響で、農業に使える水も減ってきている。
繰り返しになるが、農作物や天然水の持つ再生可能力こそが「富」の源泉であり、増え過ぎた人類はその「冨」を分け合って生き延びて行くしかない。或は、長期的な視野に立って「富」に見合った人口調整をして行かなければならない。それが夢から醒めつつある「裸の王様」に突きつけられている現実だ。にもかかわらず、「人口の減少は経済を衰退させる」という「バカ」げた妄想から抜け出せないな輩が多過ぎる。私たち人類が必要としているのは、林業が示すように「再生に合わせた分を使う」という節度だ。だが、今の資本主義には、その「節度」がまるでない!「浪費」を促すことでしか自らの巨体を保持できなくなった資本主義は、自らの拠って立つ基盤を自壊に追い込んでいるのだ。
新たな発想を持った経済を押し立てて行くしかない所以だ。「経済の拡大」にしか頭がない資本主義が、間違いなく破綻する所以でもある。
(完)
(*1)政府は消費増税の3%の2/3に相当する額を経済対策に盛り込むと言い出した。その具体策として、「法人税減税」と「生活困窮者対策」を上げている。それは、そもそも財政の健全化と消費税を社会保障の目的税にするという話から逸脱する。それは、自民党が十八番とするバラマキの復活そのものではないのか?
(*2)「原発事故対応は、しっかりと対応下に置かれている」と安倍首相が公言したことが、波紋を広げている。私たちは、この2年半を通じてどれほど3.11の大震災を教訓とできたのだろうか?今後起きることが確実視されている巨大地震についても、安倍首相は「しっかりと対応下に置かれている」と言うのだろうか?一国の首相は国民の生命に関することを「安請け合い」すべきではない!人間はもっと自然災害の脅威に対して、謙虚であるべきだ。
「国が責任を持って、汚染水対策に乗り出す」という話をするのは構わない。が、「しっかりと対応下に置いている」と言うのは、如何にオリンピック招致のためと言え、言葉が軽過ぎる。