中国見聞録
「アッ」と言う間に、帰国当日になった。毎朝の日課通り、(ホテルのチェックアウトを済ませ)A社に出勤した。すると、私たちの示した改造点である「ステンレスを1.2ℓから2ℓに変更させる」ことと「冷水タンクを載せる盤の穴の変更」と「蛇口をスクリュータイプに変更させる」ことの原型が形になっていた。昨日の話で、「エア仕様のサンプルを作り、2週間ほどで送って上げる」という約束を社長がしてくれた。それが「本当にしてもらえるか?」は「社長も忙しいから怪しいよ。」とMさんは言っていたが、1日(半日)でこれだけのことが進んだのだから期待を抱かせる。
サンプルは弊社に送られて来る。それが着き次第、MさんとOさんがエアに集まり「出来映えを吟味をしよう!」という話になっている。そこで、「OK!」が出せれば発注をかける。発注時には半額を送金し、納期は45日、製造時には自分たちがラインに立ち会い、出荷準備が整った時点で残りの半額を送金する。
ただ、2月中旬に中国の旧正月が控えているので、その前に輸入するのは「忙しすぎる!」ので、入荷は3月中旬ということになるか?いずれにせよ、まずは「サンプルの到着」と「その出来」次第となる。ラインの立ち会いもMさん抜きにというのでは不安なので、Mさんの訪中期間に合わせたい。Mさんの予定としては、来月(1月)中旬にA社社長と次男坊が来日し、日本の工場視察をするという。その関係で1月の訪中はなさそう。また、2月の旧正月の「前と中」の訪中はないだろうから、2月の旧正月開けが製造が本線になると考えるのが妥当か?
成田で、Mさん、Sさん、Oさんと別れた。帰りの道中で首都高の渋滞に巻き込まれている最中に、Kさんから電話があった。「中国製のサーバーの納期がいつ頃になるか?知りたくて電話をしました」とのことだった。日本では、多くの人がサーバーに関する突破口を求めている。それを、いきなり「再認識させられた」。
飛行機の中で、Oさんに「目の前にあるチャンスを、安全策を優先させて、もう少し様子を見るという選択肢もある。しかし、ここで自分たちが関わらなければ、自分たちが期待する進展はない。」という話をした。千載一遇のチャンスを活かせるかどうか?は結局自分がそのリスクを取るか?どうか?の決断にかかる。その上で、「やるなら」とことん成功させるまでやり切るかどうか?が成否を決める。A社社長には、「確信」がある。それは、「日本のニーズに応える商品を中国で作れるとしたら、自分しかいない」「そして、日本仕様に応えられる商品を作れるようになれば、それは世界中で通用する。」という確信だ。そこに、Mさんが大きく関わっている。今のところ、「独自色の強いサーバー」を作らせたがっている日本企業はあるが、オーソドックスなサーバーを扱おうとしている日本企業は「私たち」だけだ。自分たちにその「お鉢」を回してくれたのはMさんだから、他の人は気付き様がない。
Mさんと私は良く似ている。何もないところの一から物事を組み立てて行くのが好きだ。そして、乗りかかった船を自分の思っているところまで漕いでいくことを使命と考えている。
A社社長の取り組みを、長男のBもその奥さんのMも次男のFも受け継いでいる。そして、それぞれが独立した「代表」然とした振る舞いを身につけている。その辺が中国ファミリービジネスの意識の高さと強みだ。華僑として世界の隅々に渡り、その地に住みつき、商売を根付かせてきたDNAは伊達ではない。「自分たちも二人一組で動くと言うことでなく、それぞれが<代表>という立場で、彼らと関わって行きたい」とOさんに伝えた。
(つづく)
サンプルは弊社に送られて来る。それが着き次第、MさんとOさんがエアに集まり「出来映えを吟味をしよう!」という話になっている。そこで、「OK!」が出せれば発注をかける。発注時には半額を送金し、納期は45日、製造時には自分たちがラインに立ち会い、出荷準備が整った時点で残りの半額を送金する。
ただ、2月中旬に中国の旧正月が控えているので、その前に輸入するのは「忙しすぎる!」ので、入荷は3月中旬ということになるか?いずれにせよ、まずは「サンプルの到着」と「その出来」次第となる。ラインの立ち会いもMさん抜きにというのでは不安なので、Mさんの訪中期間に合わせたい。Mさんの予定としては、来月(1月)中旬にA社社長と次男坊が来日し、日本の工場視察をするという。その関係で1月の訪中はなさそう。また、2月の旧正月の「前と中」の訪中はないだろうから、2月の旧正月開けが製造が本線になると考えるのが妥当か?
成田で、Mさん、Sさん、Oさんと別れた。帰りの道中で首都高の渋滞に巻き込まれている最中に、Kさんから電話があった。「中国製のサーバーの納期がいつ頃になるか?知りたくて電話をしました」とのことだった。日本では、多くの人がサーバーに関する突破口を求めている。それを、いきなり「再認識させられた」。
飛行機の中で、Oさんに「目の前にあるチャンスを、安全策を優先させて、もう少し様子を見るという選択肢もある。しかし、ここで自分たちが関わらなければ、自分たちが期待する進展はない。」という話をした。千載一遇のチャンスを活かせるかどうか?は結局自分がそのリスクを取るか?どうか?の決断にかかる。その上で、「やるなら」とことん成功させるまでやり切るかどうか?が成否を決める。A社社長には、「確信」がある。それは、「日本のニーズに応える商品を中国で作れるとしたら、自分しかいない」「そして、日本仕様に応えられる商品を作れるようになれば、それは世界中で通用する。」という確信だ。そこに、Mさんが大きく関わっている。今のところ、「独自色の強いサーバー」を作らせたがっている日本企業はあるが、オーソドックスなサーバーを扱おうとしている日本企業は「私たち」だけだ。自分たちにその「お鉢」を回してくれたのはMさんだから、他の人は気付き様がない。
Mさんと私は良く似ている。何もないところの一から物事を組み立てて行くのが好きだ。そして、乗りかかった船を自分の思っているところまで漕いでいくことを使命と考えている。
A社社長の取り組みを、長男のBもその奥さんのMも次男のFも受け継いでいる。そして、それぞれが独立した「代表」然とした振る舞いを身につけている。その辺が中国ファミリービジネスの意識の高さと強みだ。華僑として世界の隅々に渡り、その地に住みつき、商売を根付かせてきたDNAは伊達ではない。「自分たちも二人一組で動くと言うことでなく、それぞれが<代表>という立場で、彼らと関わって行きたい」とOさんに伝えた。
(つづく)