想像してご覧よ!
皆さんは、ジョンレノンの「イマジン」の歌詞を覚えていますか?
私たちは、今こそ人間の「理性」を取り戻し、「全地球的な」視点を持たなければなりません。が、その「心」の準備ができているとは言い難いのが現状です。人がたくさん居れば、自分の分を確保することで「頭」が一杯になります。人口を際限もなく増やした人類は、その自分たちが推し進めてきた「やり方」にまったく責任を取れ(ら)ないまま、未体験の「水の世紀」に突入しようとしているのです。
「水」が本当にないわけではありません。「水」の処理方法や分配方法に問題があるのです。その使い方に問題があるのです。かぎられた「真水」を、「飲用や食糧生産」に優先的に当てる。その「頭」を持たないならば、「水」は「砂漠」に吸い取られるように姿を消してしまうでしょう。いらない工業製品のために貴重な「水」を使い、下流の人には飲めないものにしてしまう。希少なモノを無駄に使えば、需要は膨大なわけですから、供給が足りなくなります。これは小学生でも分かる「算数」です。その「水」を農業や食糧生産に振り向け、農薬を使う代わりに人手を投入して除草をすれば、昔の様に、下流の人々だってその水を「飲む」ことができます。「知恵」させ働かせれば、私たちは「在るもの」でことを足らせることができるのです。しかし、「知恵」を働かせることを「格好悪く」「貧乏臭い」ことのように思ってしまう。今の世の中は、そんな「風潮」が人々の「心」を支配しています。そして、いつまで経っても「景気の良さ」しか願え(わ)ないわたしたちに、「水」を大切に分け合う気持ちを持つことは「不可能」なことなのかも知れません。
(つづく)