なぜ?
この不況は、いつしか「構造不況」と名付けられた。つまり、故あっての不況で一過性のものではない。「労働力と消費」のために人口は多ければ多いほど良いと考えられた。そのための人口膨張維持策として、人々には「アメ」が振る舞われた。「人権」や「自由」や「平等」という甘~い「アメ」だ。だが、そのことで、「人々のコスト」は否応もなく跳ね上がった。その「人々のコスト」こそが、今や経済成長の阻害要因になっている。だが、その事実に気が付いている人は「妙に」少ない。この期に及んでも、人々は「人口増こそが経済成長の支え」という迷信を信じて止まない。
人権や自由を得た人々は、平等に「飲み食い」をする。遠慮などしない。みんなが「王様気分」で飽食を満喫する。それが、元々に限りのある食糧や真水を消費し尽くそうとしている。「構造不況」の「構造」とは、世界的な「この」風潮を指している。飽食の裏で、工業製品よりも食糧を必要とする現実が、音もなく私たちの背後に迫っているのだ。
(つづく)
人権や自由を得た人々は、平等に「飲み食い」をする。遠慮などしない。みんなが「王様気分」で飽食を満喫する。それが、元々に限りのある食糧や真水を消費し尽くそうとしている。「構造不況」の「構造」とは、世界的な「この」風潮を指している。飽食の裏で、工業製品よりも食糧を必要とする現実が、音もなく私たちの背後に迫っているのだ。
(つづく)