日本の水道の病理
天然水も生物ろ過法も生物が関与していることで、「一番安心で安全」「一番おいしい」ということが担保されています。人類が編み出した生物ろ過法は、期せずして、天然水が生まれる原理とまったく同じ工程を辿るものでした。そして、それは人為が入らない方が「安心で安全」で「おいしい」という事実を物語ることとなりました。
しかし、そのことは、今の私たちには「一番受け入れがたい」事実です。私たちは知らず知らずのうちに、「人為がてんこ盛りになったもの」を有り難がるように慣らされています。「安心・安全」はお金を出して買うものとされ、人為を加えれば加えるほど商品の価値は上がるという錯覚を、私たちは身につけるに至っているのです。
ところが、「安心・安全」に対する一番の脅威を作り出しているのは、他ならぬ自分たち自身であるという皮肉に、私たちは気がつき始めました。地球温暖化や原発事故を目の当たりにして、私たちは自分たちの選択が「想定外」の結果を生んでいる事実を認めないわけには行かなくなってしまったのです。
水は、すべての生物が必要としています。だからこそ、それをすべての生物が共有できる仕組みが自然界に元々存在しています。自然の営みの中で、生物が水を体内に取り込むことで、有害物質さえ分解し無害化してしまうのです。そういう環が太古から成り立っているのに、私たちは、その自然の仕組みに戻ることを「善し」としません。逆に、私たちは、自然の仕組みを懸命になって壊す側に回っている自分たちを止めることができないのです。
私たちが立ち止まらないかいぎり、この「愚行」は続きます。
(つづく)
しかし、そのことは、今の私たちには「一番受け入れがたい」事実です。私たちは知らず知らずのうちに、「人為がてんこ盛りになったもの」を有り難がるように慣らされています。「安心・安全」はお金を出して買うものとされ、人為を加えれば加えるほど商品の価値は上がるという錯覚を、私たちは身につけるに至っているのです。
ところが、「安心・安全」に対する一番の脅威を作り出しているのは、他ならぬ自分たち自身であるという皮肉に、私たちは気がつき始めました。地球温暖化や原発事故を目の当たりにして、私たちは自分たちの選択が「想定外」の結果を生んでいる事実を認めないわけには行かなくなってしまったのです。
水は、すべての生物が必要としています。だからこそ、それをすべての生物が共有できる仕組みが自然界に元々存在しています。自然の営みの中で、生物が水を体内に取り込むことで、有害物質さえ分解し無害化してしまうのです。そういう環が太古から成り立っているのに、私たちは、その自然の仕組みに戻ることを「善し」としません。逆に、私たちは、自然の仕組みを懸命になって壊す側に回っている自分たちを止めることができないのです。
私たちが立ち止まらないかいぎり、この「愚行」は続きます。
(つづく)