日本の水道の病理
私たちは、歴史を見るという視点を忘れかけています。今現在の「無数にある問題」を、テレビのニュース番組と一緒になって追いかけるため、大きな視点からものを見るという考え方が、スッポリと抜けてしまっているのです。しかし、歴史を見るという視点さえ取り戻せれば、事の本質は「無造作に、目の前に横たわっている」ということが理解できるはずです。
今回の大震災で、放射能騒ぎが勃発しました。水道水が雨水の放射能を集め、それを素通しする様が報じられ、「水道水」の安全神話に疑問が投げかけられたのです。ただ、それもテレビが興味本位に報じている間だけのことでした。別なセンセーショナルな問題が取り上げられるまでの「ほんの短い間」しか、人々の疑念は続きませんでした。なにしろ「問題は無数」にあり、一つだけに拘っていては、次の問題に取りかかれません。
しかし、私たちは相変わらず「水道水を飲み続けている」という事実にもっと留意しなくて良いのでしょうか?河川に流入する雑多な物質の内、5%のものが取りきれずに蛇口から出てきます。その中には、農薬や生活雑廃物や工場排水や糞尿などが含まれています。私たちは、日夜それらを水道を通して飲み続けています。放射能よりも恐ろしいものを毎日飲み続けていることを、私たちは「放射能の素通し」という事実を通して覗き見てしまったのです。
しかし、それでも私たちは「生涯にわたり、この正体不明な水を飲み続けていくのでしょう」。もう既に65年の長きわたり、私たちはそれを飲み続けてきたのですから、どうということはありません。そういった諦観を内に抱いて、私たちは生きているのです。
(つづく)
今回の大震災で、放射能騒ぎが勃発しました。水道水が雨水の放射能を集め、それを素通しする様が報じられ、「水道水」の安全神話に疑問が投げかけられたのです。ただ、それもテレビが興味本位に報じている間だけのことでした。別なセンセーショナルな問題が取り上げられるまでの「ほんの短い間」しか、人々の疑念は続きませんでした。なにしろ「問題は無数」にあり、一つだけに拘っていては、次の問題に取りかかれません。
しかし、私たちは相変わらず「水道水を飲み続けている」という事実にもっと留意しなくて良いのでしょうか?河川に流入する雑多な物質の内、5%のものが取りきれずに蛇口から出てきます。その中には、農薬や生活雑廃物や工場排水や糞尿などが含まれています。私たちは、日夜それらを水道を通して飲み続けています。放射能よりも恐ろしいものを毎日飲み続けていることを、私たちは「放射能の素通し」という事実を通して覗き見てしまったのです。
しかし、それでも私たちは「生涯にわたり、この正体不明な水を飲み続けていくのでしょう」。もう既に65年の長きわたり、私たちはそれを飲み続けてきたのですから、どうということはありません。そういった諦観を内に抱いて、私たちは生きているのです。
(つづく)