おいしい水の探求
1冊の本の前編部分の抜粋を5回に分けて、掲載しました。後編部分には「緩速ろ過法」と「急速ろ過法」の比較が明快に綴られています。しかし、抜粋ばかりで内容をお伝えしようとすると、内容が衝撃的故に、読んでいるだけで疲れてしまいそうです。そこで、後編部分へ移る前に一度小休止します。興味のある方は、是非本を購入して全体をお読み下さい。
<従来、日本人の間には「日本の河川はきれいなもので、それが当然の姿」だという考えがあるが、これは根拠のない迷信であることが了解されるであろう。>という小島先生の発言は、それを原料に水道水を供給されていた側の人のものだけに重たいものを感じます。
日本は山国のために、良質な天然水に恵まれています。しかし、先生はそれが大都市の水道水には活かされていない現実を描き出されていました。本の初版は1985年10月20日で、おおよそ四半世紀前のこととなります。その間、日本の水道は全く進歩することなく、むしろ「高度処理」という迷路にはまり込み、「蛇口から直接水を飲む人」を失い続けてきました。それは「緩速ろ過法」という最も安全で最も歴史のある方法をかなぐり捨ててしまった当然の帰結でした。
明日から、後編の抜粋を再開します。(つづく)
<従来、日本人の間には「日本の河川はきれいなもので、それが当然の姿」だという考えがあるが、これは根拠のない迷信であることが了解されるであろう。>という小島先生の発言は、それを原料に水道水を供給されていた側の人のものだけに重たいものを感じます。
日本は山国のために、良質な天然水に恵まれています。しかし、先生はそれが大都市の水道水には活かされていない現実を描き出されていました。本の初版は1985年10月20日で、おおよそ四半世紀前のこととなります。その間、日本の水道は全く進歩することなく、むしろ「高度処理」という迷路にはまり込み、「蛇口から直接水を飲む人」を失い続けてきました。それは「緩速ろ過法」という最も安全で最も歴史のある方法をかなぐり捨ててしまった当然の帰結でした。
明日から、後編の抜粋を再開します。(つづく)