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Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

私の考える「水道の民営化」

6.まとめ

ガロンボトルによる水商売は、決して派手に稼げるものではない。だが、堅実だからこそ末永い「利益」を生む。そして、そういう商売でなくては、多くの人に使っていただけるものとはならない。そうした道理が、私たちの周りの商売から消え失せて久しい。それを取り戻すためには、一企業だけが奮闘しても始まらない。「地産地消」であり、「需要と供給の一致」であり、それらの商売の基本に立ち返るためには一定の地域で商売の「輪・環」を作り出すことから始めなくてはならないからだ。農業を見れば分かる様に、今でも「地産」が途絶えてしまっているわけではない。だが、「地消」する側の意識が薄れたことで、農業を支えようとする人々の高齢化が進んでしまった。しかし、直売場で売られている野菜の数々は、中国産のものと比べても価格競争力を有している。それにも関わらず、「地産地消」は、元の力強さを取り戻す気配はない。そして、TPP交渉は「聖域」への譲歩が意図的にリークされ始めている。

日本は江戸時代を通して、藩政での地方自治が確立され、そこで「富」がじっくり時間をかけて蓄積された。日本の近代化は、その蓄積された「富」の上に成り立ってきた。時は移って、日本の富は、政府の失政で財政赤字と「イコール」に成り果ててしまっている。中央集権の弊害によって、地方の富は底を尽き、補助金で食いつなぐような「体質改悪」が進行してしまっている。地方自治は実質を失い、国力は見た目より遥かに低下するに至っているのだ。国力とは、地方の草の根の「力」の総和だ。経済力も同様で、国民の力が結集される環境がなければ強固なものとはできない。その点の認識が日本の中央政府には、甚だ欠けている。そこで、当プランが持つ「大義」を掲げることで「まとめ」としたい。

群馬県に「天然水」の「護送船団」を組んでいただく。それは資金的なバックアップを意味しない。一工場に必要な資金は2,000万円で済む。マイホームを建てる程度の資金で、草の根の「天然水供給網」の一翼を担うことができる。その資金は個々が調達することが望ましい。では、何を持って護送船団とするか?と言えば、水資源を公共下に抱え込むのではなく、大胆に民営化させていくことだ。水道事業を「飲食用」と「生活用水」に分け、「生活用水」用のものは、今まで通り、公共下に置く。そのことで、新たな施設建設費や更新費を圧縮・軽減することができる。そして、「飲食用」のものは「民間」に委譲していく。但し、公共性の高いものだけに誰もが使えるような料金で普及が為されて行くような指導は不可欠だ。それが、県産の「天然水」のブランド化にもつながる。一級河川は、県が管轄する。その大元の湧水地点に県内企業が「天然水製造工場」を作り、化学物質も農薬も殺菌剤も含まない生まれたばかりの「天然水」を「精密ろ過」をして、県民に供給する道を開く。他県に先駆けて本県が「天然水の護送船団方式」を取り入れれば、本県の地政学上の優位性を揺るぎのないものとすることができる。私は、それを「国家戦略特区」の認定につなげて行くという発想を提案して置きたい。

それは、決して一企業では賄えない「首都圏の水瓶」としての役割を、民間の草の根的な力を引き出すことによって、引き続き本県が担って行くことの「宣言」となる。そして、その流れは、水に恵まれた他の県でも、税金の無駄遣いを改め、民間の活力を高め、昔日のような「富」の蓄積を随所で始める端緒となっていくはずだ。各地で、裾野の広い水関連事業も広がりをみせて行く。既にガロンボトルの成形機の分野では、日本企業のものが世界標準のものとなっている。サーバーに関しては、日本が関与しないために四半世紀を経ても製品の改善で顕著な進展は見られないできた。日本で作ってもコストが掛かり過ぎると敬遠されてきたためだ。だが、日本でもガロンボトル詰めの「天然水」が水道水の代わりを務めるようになれば、国内のサーバー市場だけでも家電メーカーは息を吹き返せる規模のものとなっていくはずだ。日本人の持つ「シンプルイズザベスト」という開発精神は、他国の人たちには決して真似ができない。弊社の開発した洗浄充填機を始めとするプラントも同様だ。コストパフォーマンスにおいては、他国のものを圧倒する。
いつの間にか平均年収が160万円以下の非正規労働者の割合が、日本の就業人口の36%を示すに至っている。最早、日本で作ればコストが高くつき過ぎるという話も「神話(ウソ)」に近い。売れることさえ明らかにすれば、引っ込み思案に陥ってしまっている日本の家電メーカーが、世界に通用するコストパフォーマンスに優れたサーバーを作り出せる。

日本の飲用水市場を民営化することで、上記の様な「波及効果」が生じる力学をお分かりいただけないだろうか!「水の世紀」は、否応もなくやってくる。その世紀に「水に恵まれた」日本が果たす役割は、とてつもなく大きい。だが、その資源の活用率が20%を示している限りに於いて、日本は何らの役割も果たせないままで終わってしまう。私たちに必要なものは、「持てるモノを活かす」という「意識改革」に他ならない。いつまでも官が道を譲らないでいると、「宝の持ち腐れ」は改まらない。だが、地方自治の必要性が叫ばれる中、群馬県が「先見の明」を持てば、状況を一変させることができる。「水の世紀」においては、ニーズは世界中にある。その端緒を「群馬(地方)」が切り開き、「中央」を通じて世界に向けて発信して行く。そこに思いを馳せることによる「プラス効果」を、皆さんには是非御理解いただきたいと願っている。

(完)


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