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Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

世界の危機

 その5

どんなイデオロギーにせよ、いずれ朽ち果てる。現実にそぐわなくなってしまうのだ。それを形骸化という人もいるが、当初的には正しい処方であっても、少しずつズレが生じてくる。積み木を上手に積んだつもりでも、僅かな誤差が積み重なると、総崩れを来す。それ故に、盤石と思われたものでも、崩れる時は呆気ない。
ベルリンの壁も、ある日突然崩れた。それは「社会主義」が人々の信任を失ったことによるが、いずれ同様なことが「資本主義」にも起こる。なぜなら、「資本主義」と「社会主義」は、人間が生み出した双子の思想だからだ。
対峙していた二つのイデオロギーの勝敗は、経済がつけた。衛星放送を通じて映し出される両者の違いは、豊かさに於いて雲泥の差を生じさせていた。それを、誰もがシステムの優劣として受け取った。結局、西側の豊かさは、資源を惜しげもなく浪費している姿に過ぎなかったが、東側はそれを羨望の眼差しで眺めた。「隣の芝生が青く見える」のは人間の欲目がなせる技だが、その人間の欲望が、強固な壁を突き動かしてしまったのだ。

そして、その後対立軸を失った「資本主義」は暴走を始める。そもそも対立とは、「一対で立つ」ものを指す。それは敵対だけを意味するものではなく、ライバル関係のようにお互いを律する作用や相互補完関係も含む。歯止めとなるものを失った資本主義は原理化の一途を辿り、露骨な市場主義が台頭した。ロシアに続き、中国までがその渦に飛び込んできたのは驚きだったが、いつの間にかその中国が世界経済の「救世主」と称されるようになった。その脈絡の無さには言葉を失うが、未だ「社会主義」を名乗る中国を頼りにしなければならないほど、資本主義は拠って立つ場を失っている。
比喩的な表現となるが、資本主義は「冨の分配」を、社会主義は「貧しさを分かち合うこと」を目指した。「富の分配」・「消費は美徳」という資本主義のスローガンも、資源が無尽蔵ならば成り立つ。だが、元より資源が有限であることは、誰もが知っている。つまり、資本主義の甘言は、元々眉唾ものだった。社会主義は、資本主義の眉唾を律する安全弁という役割も担っていたのだ。その片方が破綻したが、もう一つだけが単独で生き残れる道理はない。資本主義の誕生が、社会主義を産んだとするならば、巨大化した資本主義の破綻という猛烈な負のエネルギーが、社会主義を先に崩壊の渦に叩き込んだ。そう考える方が、妥当だろう。
「富の分配」が幻想だったことは、今後もっと鮮明に示されることとなる。それでも、私たちは資本主義を信任し続けられると言えるか?

私たちが考えなければならないことは、人口の適正化だ。それを急に推し進めるのではなく、時間をかけゆっくり、しかも計画的に進める。それが、今を生きている人間の使命だ。それが果たせない限り、「自然の摂理」が勝手に調整弁を開くこととなる。人間は、想定できることに対応する能力は持つに至っているが、想定外のことには無能に近い。例えば、猛烈な自然災害に襲われれば、私たちは他の動物同様逃げまどうしか術はない。
資本主義も、社会主義も、もう現実にそぐわない。まずは、経済を現実に合わせていくための新しい思想が求められる。そして、今起きていることを理解し、今後起こりうることを想定できる思想性を獲得せねばならない。

「経済のために、二酸化炭素の削減目標を低く抑える」とか「経済危機を財政出動で乗り切る」とか、私たちは後ろ向きな考えから抜け出ることができない。繰り返しになるが、それらの思考こそが今の状況を生んできた。これ以上堂々巡りを続ければ、私たちは間違いなく「ある日青天の霹靂の如く」「想定外の脅威」と出くわすこととなる。
(完)
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