Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

何が問題なのか?


私たちが講じなくてはならない策は、一つしかない。端的に言えば、無意味な「グローバル経済」から脱却し、内需を中心とした健全な国内経済を立て直すことだ。そして、その核に「日本の唯一の天然資源である天然水の活用を据える」。なぜなら、歴史的・伝統的に日本の産業は、山国という特性を活かし、「天然水の有効活用」に依拠してきたからだ。

冒頭に書いたように、「天然水は、人類にとっての唯一の再生可能資源だ。」それは、水の惑星=地球が、その営みの中で未来永劫に渡って再生し続ける資源だ。その天然水を「水力発電」に活かせば、文字通りの「再生可能エネルギー」を作り出すことができる。また、それを食せば、カルシウムを始めとしたミネラル分が、生命に必要なエネルギーをも生み出す。それは、地球上に生きるすべての生命が気の遠くなるほどの時間をかけ、獲得してきた能力でもある。そして、それが古来より「水はすべての源」と称されてきた所以だ。

「富」とは元来、水とお天道様と人力があれば「得られる」ものだ。水もお天道様も人力も、三者三様の「価値」を有しているが、元はと言えば「無料(=ただ)」だ。だからこそ、それらを駆使して得られるものは、掛け値無しの正真正銘な「富」となる。先人たちは、そこに気が付いていたからこそ、日本人なら誰もが「勤勉さ」を身につけた。私たちが、もしも今でも十分に賢いならば、「唯一の再生可能資源=再生可能エネルギー」の活用をもっと考えるはずだ。だが、残念ながら、今の日本人には「そうした知恵の片鱗を見出すことができない。」

私たちは、一体どこで「道を誤ったのか?」
それは今まで論じてきたように、グローバル経済が示す「きらびやか」で「王様にしか手にできないであろう財宝のような富」への憧れに端を発している。だが、その「財宝のような富」は、西洋列強が世界中から略奪してきたものであって、彼らの「強欲さ」が力ずくで獲得してきたものに他ならない。「財宝」への執念は、その延長上で「資源」へと移ったが、その入手法は「緩和マネー」を使った巧妙な詐取へと姿を変えた。

だが、「緩和マネー」とは言え、「偽札」ではない。その原資は、超大国と言えども「自国民の血税」に他ならないのだ。だから、いくらグローバル企業が、「詐取」を繰り返し「高収益」を叩き出しても、財政の赤字は一向に減らない。そうした必然が、唯一の「超大国」でも起こり、「貧富の格差」はこれ以上なく広がり続けている。それは、「金融引き締め」を通して為されるはずの借金返済が、棚に上げられたまま、投機に差し向けられているからだ。

詰まるところ、すべての国々が、借金返済のためだけに「血税」の大半を当てている。一方で、多くの政治家や企業は自分たちが支払うべき税金を「免れる」ために、競って「租税回避行為」を重ねている。「マネー依存症ここに極まれり」という感が強い!が、これでも「私たち」は、今の資本主義社会の無節操な「不条理や不平等」を許容し続けるつもりだろうか?

私たちは、まず自分自身の「マネー依存症」と正面から向き合い、「マネー依存症」に冒されることとなった「カラクリ=仕組み」に目を向けなくてはいけない。

「依存症」を人のせいにしているかぎり、立ち直る機会は永遠に訪れないからだ。目の前の現実は、自らが許容してきた結果として「そこにある」。だからこそ、それがたとえ苦しい「禁断症状」を伴ったとしても、そこから抜け出す「勇気」を振り絞る「道」に、歩を進めなくていけない。そうしないと、「麻薬中毒患者」の多くが、子や孫たちの将来を奪うように、これからの世代の未来を奪い取ってしまうこととなる。


<私たちは「すべてを失った」と感ずる時初めて、「すべての源」を有していることの本当の意味に気付くこととなる。>

                          (完)


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