働かざる者食うべからず
人類は多くなり過ぎた。
どれほど多くなり過ぎたか?と言えば、人がただ生きていることで消費する天然資源量が膨大な量に及び、枯渇の一途を辿っていることを見れば解る。
一方、人は「生産」という尊い作業から急激に手を引こうとしている。世界中で途方も無い時間を掛けて開墾した農地を、自然に還す挙に出ている。人が機械に頼ることが悪いとまでは言わぬ。だが、人が大地と向き合い、そこから収穫という実を得る過程で獲得し磨いてきた「自然科学」や「叡智」といった最も大切なものまで、「かなぐり捨てる」挙に及んでいる様は、もはや「滑稽さ」を通り越している。
アメリカの大統領選を見て、トランプという「あさましい人間」を崇める人々を見るにつけ、「人間の愚かしさ」を思わずにはいられない。「人民が主」とした民主主義の理念が、「品位のない」一人の年老いた差別主義者によって蹂躙されている。この男に「後4年の任期」を与えれば、それこそ「地球温暖化」はとめどなく進行し、アメリカのみならず世界の分断は進んだにちがいない。その瀬戸際で、私たちは踏みとどまることができた。
それも「コロナ禍」が生んだ。「災い転じて福となす」という言葉通りの展開だ。私たちの世界とは実に良くできている。「無理が通れば道理が引っ込む」。トランプの無理が大手を振るい、アメリカの分断は進んだ。が、それはアメリカのみならず、世界へも広がり、「大衆迎合主義」や「ミニトランプ」と呼ばれるリーダーを世界各地で生んだ。そして、今回僅差でトランプは敗北したが、もしアメリカがこの選択をしなかったなら、私たち日本ならずとも、その分断に世界中が巻き込まれていた。
それを「コロナ」が促し、「再生可能エネルギーへ投資をする」と明言する大統領が勝った。私たちは、「時を得た」。その時を無駄なく有効に使い、再生可能な社会へ向けて確実な歩を進めて行かねばならない。地球温暖化の元凶となる化石燃料依存の社会から脱し、地球の豊かな水と森を温存できる社会を目指す。そのためには、無用に数を増やし、争いの種を増やすばかりの人口増加に歯止めをかける。それを社会の強制で導くのではなく、人々の理性がそうした選択を行えるような社会にして行きたい。
人々の平等を保つためには、相応の人口を保つことが欠かせない。自分たちの食べる物は自分たちで生産するに限る。さすれば、奪い合いは生じない。「働かざる者食うべからず」とは、人々の「理知」の原点となる教えだ。私たちには、十二分な技術力もあるし、科学的な観点もある。自立を促すだけの情報も知恵も腐るほどある。それらを駆使すれば、人がそれぞれの個性を発揮し、人様に迷惑を掛けずに多様性を活かす道はいくらでもある。私たちは、そろそろ「そうした自由」を獲得し満喫する生き方に一歩踏み出すべきではないのか?
私たちが「経済活動」と信じて押し進めてきた消費(天然資源を使い切る)活動が、今目の前にある全ての事象を生み出している。私たちは、この「浪費活動」を改め、自然そのものからエネルギーを抽出することだってできるのだ。全ての生き物は学習能力を持ち合わせている。が、その学習能力で得た知見を磨き、より良いものを作り出すという能力は私たち人間しか授かってはいない。それにもかかわらず、私たちが行動に移さないのは、一人一人が「為すべきこと」を怠っているからに他ならない....。
「経済活動とコロナの共生」などと言った戯言を頭から消し去らねばならない。今の経済活動こそが、地球温暖化を生み、新型コロナも生んだ。私たちがその因果関係を正しく「承知」することこそ、再生への始めの一歩となる。