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Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

コロナウイルスの発生源

第2話

緊急事態宣言が5月の連休の5月6日までとされていたが、明瞭な指針のないまま5月31日まで延期された。号令を掛ける立場の政治の長である首相が、専門家に責任を含めて丸投げしたまま何も決めようとしない。意思決定の筋道にいつでも胡散臭さを残すのが常の政権のため、エビデンスや根拠等は公開しようとしない。(実は無いからだ。)号令を掛ける側に、覚悟も具体性も明快さもないので、PCR検査等については、いつまで経っても「首相の言う通り」にはならない。それは、そうだ。思いついたままを、まるで「他人事のように行政に丸投げするが、丸投げされた側は緊急事態に対応する予算も人的な態勢を整えるだけの予算ももらっていない」。つまり、「無茶振り」もいいところだから、何も手を付けられない。首相は、まるで「口から出まかせ」の様に「何時いつまでにはこうできる」という話を連発するが、予算抜きに、裸の王様に従える者など居る訳はない。

リーダーシップという点では、「劣っている」というよりも「全く発揮するつもりがない」。どこか?豊臣秀吉を彷彿とさせるワンマンぶりだが、本人「安倍一強」と呼ばれ、「天下人」にでもなったつもりでいる。税金を無駄なことに湯水の如く注ぎ込むが、弱者への配慮は微塵もない。全体が見えていないから、本当に必要なところに先を見据えて税金を投入するといった先見性もない!これでは「(官邸)独裁政治」そのものだ。秀吉が子飼いのお気に入りを、恩賞と地位と恫喝を巧みに組み合わせながら操る様を思い起こさせる。とは言え、ここ何年も同じ調子でやってきて「お咎め無し」でやり過ごして来たので、本人は「今回も乗り切れる」つもりで居る。国民の側の対応も然りで、このまま行けば、今回の「コロナ騒動」は何事もなかったかの様な結末を迎える。

ただ、人々の心の流れは「そう」だとしても、困ったことに問題は何一つとして解決を見ないまま次章に突入して行く。「経済しか頭にない」まま、「早く経済を回復させたい」と政治家も国民も先を急ぐ。だから、敢えて言う。今回の世界的なコロナ騒動は、私達が最優先させている経済活動と無縁ではない!武漢からイタリアへと新型コロナの感染者の中心が移った少し後まで、日経電子版上では、武漢を中心とした中国全土と、イタリアを中心としたヨーロッパの全域の衛星写真を掲載していた。どちらも都市封鎖を敢行した日を中心に、その前後を高速度でつなぎ合わせ、上空に立ち込めているスモッグの推移を撮し出していた。それを見ると、一目瞭然だったが、都市が封鎖され経済活動がストップする前とその後では、武漢も北イタリア上空も全く様変わりしていた。経済活動がストップするまでは異様な程分厚い雲(スモッグ)に覆われていたものが、ストップ後はスモッグはきれいに一掃されていた。中国全土やヨーロッパ全域の中でも、それははっきりと認識できるほどの差異が映し出されていた。

私がウイルスの発生源は「PM2.5」ではないかという仮説を立てたのは、その映像を見てのことだった。私が子供の頃、京浜工業地帯で同年齢の子供たちが喘息に悩まされているというニュースがよく流れていた。そして、私の一つ年下の従兄弟が喘息を病んだことをきっかけに、一家は川崎から仙台に引っ越した。その後、私の従兄弟の症状は和らぎ回復をしたが、人間に限らず生物は環境に左右される。勿論生物には環境への適合能力が備わっている。それが進化の引き金になるとされてはいるが、対応し切れない者もいる。

だからこそ、今のような経済を推進する「政治(家)」には、そうした事態に対しての十分な備えをする責務がある。だが、当の政治家にそんな意識はカケラすらないことが、世界のリーダー達を見るとよく分かる。経済の再開を急いだアメリカでは、半数近い州で感染者が再び増え始めていると言う。(5/24 日経電子版)また、「コロナ感染者 世界で520万人 中南米など新興国深刻に」という記事掲載されてる。(5/25 日経電子版)中でも酷いのがブラジルだが、「コロナの感染よりも、経済の打撃を最小にすることの方が重要」としていた大統領を擁する国が、「爆発的な感染の拡大に直面している」。

そう!この騒動は、まだ終ってなどいない。それにもかかわらず、「グローバル経済を再開させる」と言う。だが、そんなことをすれば「人とモノを大量に、高速に動かすグローバル経済」下では、新興国や発展途上国を中心にパンデミックに抗する体制は全くと言って良い程整っていない。だから、自分ファーストの考え方しかできないトランプが、大統領選を睨んで経済再開を急げば、パンデミックは新たにシャッフルされ、第一波のまま地球全体を覆い尽くすこととなる。

私達は、たとえ経済が「ひしゃげたとしても」一度立ち止まらなければならない。物事には必ず「因果関係」が存在するからだ。(因果関係とは、「原因があり結果が生じる」というとてもシンプルだが、同時に極めて科学的なものの見方を指す。)生命は環境に左右されながらも、生き残りを賭けて適応力を磨き、身体の一部を変化させる能力すら付与されている。ただ、それは人間だけでなく、全ての生命に付与されている能力だから、その力は原始的な生命ほど強い。人間の欲望により、地下に埋蔵されている資源は急ピッチで掘り起こされている。それらの資源は巨万の富を生むからだ。開発は自然破壊そのものだが、あまりにも広範囲で行われ、今ではグローバル経済そのものだから、その実態は人々の目には止まらない。だが、掘り起こされるのは資源だけではなく、乱開発抜きには出会うこともなかった「強い生命力を持った細菌」をも目覚めさせる。ウイルスは菌とは違うが、やはり人間の経済活動とは無縁な存在ではない。それらと出会うチャンスも、人間がその数(=人口)を異様なまでに増やし続けてきたからこそ、増えている。だから、私達が一度立ち止まって考えなければならないこととは、このまま「今の経済を拡大し続けることの是非についてだ!」

今回のコロナ騒動は、「医療が科学から外れ、適切な対応ができない代物になり果てている」からこそ起きた。それは、世界の政治が挙って、「本来あるべき医療に対して適切な予算を組むことがない」ままで来たからこそ生じた。つまるところ、政治が全く「科学的観点とは無縁」なところで成り立ち、社会主義・共産主義の没落の果て民主主義もまた機能しないところを曝け出すに至っている。私達が積み上げて来た「科学的な見地」を支える「人間性」や「理念」が、いつの間にか「打ち捨てられている」さまに、ほとんどの人々は気づいていない。

政(まつりごと)とは、本来「支配と被支配」を前提とするものだ。そこに「科学的見地」など存在しない。力のある者が、その他大勢を従える。そこに「正当性」を与える「科学的見地」など存在するはずがないのだ!だから、現代を支配する側は「民主主義」というもっともらしいものを持ち出し「お茶を濁し」、その他大勢(=私たち)を騙しにかかっている。と言え、最初から「民主主義」という考え方が不甲斐ないものだったわけではない。その考え方は、民衆が革命や民主化運動を通して「多くの犠牲」の末に培って来たものだ。だから、民衆に選ばれた政治家には明快な「志」があった。が、「志」は世の中の変容や自らの地位により、たちまちの内に「劣化」してしまう。旧来の勢力の復活や独裁者の台頭などに取り込まれ、「支配と被支配」の関係はより「強固さ」を取り戻してしまうというのが常だ。

一方、今の所私の独自理論に過ぎないが、経済に「科学的見地」を持ち込むことはできる。つまりは、「民主主義経済」というものを理論化することは十分にできる。なぜなら、経済は政治と違い数字に忠実だからだ。
「経済」は「人々が必要とするものを作り、売り買いする」ことで健全な成長を遂げる。が、その本質が逆転し、「人々が必要としているか否かよりも、売れるものを大量に製造し売り捌く」ことが、最も経済を効率よく拡大させることができる。その効率に、現代資本主義は気づき、その原理をグローバル経済に当てはめ徹底的に追求し始めた。そこに、資本主義国家ではない中国までが参戦し、グローバル経済を一気に拡大させたことは、皆も良く承知のことだ。だから、繰り返して言うが、こうした現況を良く見定めて事に当たらねば、日本経済はグローバル経済の負の側面に絡め取られ埋没して行く。

日本は江戸時代に、世界一の都市を成り立たせたことがある。当時、海外進出を果たし世界中から富を集めていたヨーロッパ列強のロンドン(60万人)やパリ(50万人)に比し、100万人という圧倒的な人口を擁する江戸という大都会を生み出した。全くの「内需」だけでも、「人々が必要とするものを作り、売り買いする」ことに徹し、多くの人々が製造に関わる経済を構築すれば、経済は自立し健全な発達ができる。そうした実証をした国は、実は日本しかない!それは、島国であり、鎖国という体制を敷いた国にしかできない壮大な実験だったが、それを私達は達成した稀有な存在なのだ。そして、日本が起こした無謀な太平洋戦争後にも、内需の拡大を梃子に同じ様な経済の隆盛を成し遂げたこともある。(朝鮮戦争需要がきっかけを作ったという側面も否めないが...。)

日本の人口は減少傾向に入ったとは言え、まだ1億2千6百8十6万人も居る。それだけの人々が製造と消費をすれば、経済が成り立たないはずがないではないか?何も競争力のなくなった市場で、世界中に散らばったサプライチェーンからの供給を心配しながら、不自由な製造を組む必要などない!できるだけの製造を国産に戻し、内需中心で回す。そうすれば、人手不足なども起きない。こちらが買ってもらおうとせずとも、品質や価格面でまだまだメイドインジャパンのバリューを求める人は世界中に居る。結果的な売り手市場を堅持することこそ、ビジネスにとっては重要な戦略ではないのか?昔の様に「鎖国をせよ」と言うのではない。だが、江戸に100万都市を創り上げた経験を活かし、「恵まれた天然水」を活かした製造業(農業等の第一次産業)及び、器用さを活かした製造業(工業等第二次産業)を復活させ、それらを島国の利点を活かした海運という物流網も織り交ぜながら再興させる。

それが、これからの日本が世界平和と共に自らの繁栄を謳歌できる道だ。グローバル経済とは、唐突に聞こえるだろうが、実は「帝国主義経済」に他ならない。欧米列強による欧米列強のための経済だ。だから、この経済は欧米列強にしか利益をもたらさない、不平等極まりない経済だ。その本質は、日本が太平洋戦争を起こした時と寸分も変わらない。欧米列強以外の国日本が、彼らの世界支配に盾を突いた。勝手に中国に進出し、自分たちの経済圏を力づくで打ち立てようとした。「出る釘は打たれる」。日本も、帝国内で反乱を起こしたドイツもイタリアも鉄槌を下された。
今の状況は、実は当時と似ている。日本の代わりに、中国が盾を突き始めている。が、当時と違うのは、中国が考えているのは「自分たちの経済圏を打ち立てる」だけにとどまらない。自らも世界を二分するような「帝国主義経済を打ち立てようとしている」。そのため、日米決戦の時とは違い米中決戦の勝敗は簡単につかないし、決着には相当な年月がかかるだろう。当時の日本は、陸軍が秀吉の妄想同様に大陸進出を掲げ、序盤戦で勝利した。その結果、帝国の逆鱗に触れ、石油の禁輸に合い、抜き差しならない太平洋戦争に突入して行った。その時は「負ける覚悟の上での参戦であった」ということが、まことしやかに後世には伝えられている。が、今回の米中戦争は、初戦の経済戦争ですら、その優劣が測れない。

話を元に戻すが、今回のコロナ騒動は「グローバル経済(=帝国主義経済)」を立ち止まらせ見直す良い機会になり得ると、「淡い期待を抱かせた」。が、世界は何事もなかったように、「経済再開」に雪崩を打ち始めている。とは言え、地球は人間だけのためにあるわけではない。生命の宝庫である地球は、もし人間が身勝手さから「自暴自棄」を曝け出すようなら、必ずやその人口を減らす挙に出る。それは何も新型コロナウイルスによるものとは限らない。地球温暖化による風水害の巨大化だって、ノンストップで続いている。だから、何の自省も見直しもない「帝国主義的経済の再開」など、自然(=神)にとっては「以ての外」のことだ。

だからこそ、日本が「民主主義経済」に通じる「再生可能経済を推進することで内需の拡大」に舵を切ってほしいと心より念ずる。それは、「グローバル経済に組することしかない」と盲信している国々に、「オルタナティブな選択がある」ことを示すこととなる。繰り返すが、それを示せるのは日本を置いて他にない。
人間は、製造に関わることで科学的な見地を獲得する。第一次産業に携われば、当然の如く「自然科学」に精通する。学校に通わずとも、「自然科学」がどういう理屈で動いているものかが体得できる。だから、都会育ちの私が僻地と呼ばれる地に移り住んだ時、接した「オバア達」は皆賢者に見えた。見えただけではなく、彼女たちは本物の賢者で、道理を心得え、働き者だった。別段第一次産業に従事することだけが尊いわけではない。製造に関わること自体が人間の頭を活性化させる。ものを作るという行為は、必ず「工夫」を必要とするからだ。その様々な「工夫」や「熟練」や「人様より秀でる」ことが、企業ではなく個々人単位で行われるようになれば、それが「民主主義経済」そのものとなる。日本はその「雛形」に当たるものを、江戸時代に生み出し発展させている。個々人が製造に関わることで、それぞれの製造者の力量や人間の幅を副産物と生み出す。だから、人が製造に関わることは、「人間の質を高める」ことに面白ほどに直結する。

残念ながら、今の世の中は大半の人が製造とは関わりを持っていない。それが、私は「人間の劣化」に直結してしまっていると考えている。江戸の町民は皆、なにがしかの生産や製造や商売に関わっていた。生計を立てるためだ。それぞれが、自分の生計を立てるために、自分の知恵を絞り、多くの個人事業主を生んだ。また、当時の物流を支えていた堀の改修等も、お上に願い出ることなしに、大店を中心とした自治組織が自ら行っていた。勿論御用商人と呼ばれる存在もあっただろうが、それでも、圧倒的な数の人間が参加しての「民主的な経済」があって初めて、人口100万人という大都市は成り立っていた。この力学を、世界中の人々に知らしめ「民主的な経済」というオルタナティブを世界に示したい。

ウイルスとの共生とは、「民主的な経済」抜きには達成できない。「グローバル(帝国主義的)経済」と呼ばれる、貧富の差を肯定的に捉える経済では「ウイルスとの戦い」は避けられないからだ。全面対決に至れば、自然を蔑ろにするものに、自然が味方に付くことはない!どの命も等しく尊い。それが理解できない生物には、まちがいなく天罰が下る。

(完)

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