新型コロナウイルスでわかったこと−2
8.そうした「過去の対応の稚拙さ」が、結果的に今回の新型コロナウイルスの感染力を高めてしまったのではないか?と私は考える。つまり、真正の感染者とたまたま「熱があった人」や「体調の悪い人」たちを集め、「換気が悪く、飛沫感染が拡がり易い環境の中に一緒くたに放り込み、濃厚接触を可能とさせてしまった」。また、その環境下でスーパースプレッダーを養成した上で、航空機や大型クルーズ船を使って、保菌者を世界の隅々にまで送り込んでしまった。
9.だが、それだけのことをしても、まだまだ季節性インフルエンザと感染者も死亡者も比べようもないほどの小数だ。感染のピークはまだまだと言う人も居るだろうが、世界中が挙って「外出禁止令や自宅待機要請」を出すに至っているので、沈静化は間違いなく進むだろう。世界の指導者が「自分の保身のため」とは言え、一斉に「経済の停滞を顧みず」に「コロナウイルスとの戦い」に口を揃えた。ただ、彼らの見せた大仰なパフォーマンスの如何とは別に、SARSやMERSの例をみる限り、人々が異様なほどの恐れを抱かずに、間違った培養実験さえ犯さなければ、事は(それなりの数の感染者と死亡者は出るが)自然収束をする。
10.私たちが本当に成さなければならないことは、季節性インフルエンザの解明に尽きる。何度も言うが、毎年20万〜50万人の人を死に至らしめているものを放置しておいて、なぜ?「新型コロナウイルスのみを恐れるのか?」この摩訶不思議を放置するだけの「不都合な真実」を白日に晒すことができないなら、私たちの文明は「空回り」から逃れられない。
11.いきなり「論理の飛躍」と言われるだろうが、人間は「経済活動に資する」として、多くの「毒」を拡大再生産してきた。それは、対立する相手を抹殺するための文字通りの「毒」だけではなく、抗菌剤もまた一つの「毒」だ。農薬も然りだ。また、便利さを求めた末に大量生産され、大量廃棄を繰り返してきたプラスチックも、海を汚し、マイクロチップとなって大気を汚し、私たちはそれらを呼吸することによって、「肺」へ日常的なダメージを加えている。コロナウイルスが、風邪や季節性インフルエンザを通し、肺炎を併発させて重症化させることと、私たち作り出してきた「毒」やそれを撒き散らす異様なほどの「消費社会」とは無縁ではない!
12.地球温暖化も同様に、私たちが盲目的に繰り広げてきた「経済活動の賜物」だ。が、そう指摘する声に対しても、世論は「そうは言っても、だからといって経済活動を停滞させる訳には行かない」と言って憚らない。私は、「だからこそ、この新型コロナウイルス騒動は起こった」と言っておく。口を開けば、人は「経済こそは全て」と言う。地球温暖化が進み、この地球や自然が猛り狂って風水害が強大なものとなっても、そのことが自分たちの子や孫を窮地に追いやることが分かっていても、「今の経済がバブリーに成長してくれれば良い」と思っている人の数は減らない。
13.だからこそ、将来の話ではなく、今の今、人々が恐れおののき、熱病の如く狂喜乱舞する人々に自制を迫る事象が訪れた。世界は、滑稽なほど「自粛ムード」に包まれ、「経済の停滞があったとしても、このウイルスとの戦いに勝利しなければならない」と、グローバル経済の推進に余念のない世界のリーダーたちに言わしめた。滅亡に向かってまっしぐらに進むことを鼓舞し続けて来た政治家に、それが一瞬であれ、あるいはパフォーマンスであれ、「立ち止まらせた」事実を私は心底より評価したい。
14.この機会を無にすることなく、人々がもっと「健全に」「正しく」「賢く」「楽しく」生きていくために、自然への畏敬の念を取り戻し、「謙虚に生きる」ことを学ぶ機会としてくれることを切に望む。
15.そのためにも、世界中の株価が大暴落し、「経済活動がお金を代償としなくとも、必要不可欠な営みである」ことを世界中の人々が知る機会としたい。人間は、経済の拡大に固執することで、自らを制御する心を失っている。消費社会を賛美する傍らで、膨大なゴミを生み出し、それらを遺棄し続けている。人工物は焼却しなければ、姿を消さない。が、焼却しても大気中に漂い続ける。同様に焼却しなければ、マイクロチップとなって拡散し続けながらも、地球上や海や魚貝の体内や大気圏にとどまり続ける。それらが、地球温暖化要因を作るだけでなく、人体の最も気体に対し敏感な器官である肺に対し、作用を強め始めた。日本で肺炎(誤嚥性肺炎を踏む)に罹って亡くなる人の数は、平成30年で133,121人に達している。その死因順位は、がん・心疾患に次ぐ3位(平成30年人口動態統計より)だ。
16.人類は、自らの力で、既に生態系そのものや地球環境までをも変えてしまっている。それが人類を滅亡に導きかねないことも「薄々感じ始めている」。そして、今回の「新型コロナウイルス」を通して、「これは、将来の話ではなく自分自身の今に降りかかる差し迫った災いだ」と認知されることとなった。自らの「生死」を通して、社会を見直す。その時、人は初めて「曇りなき目で自分や社会を見つめることができる」。それが、「これは自業自得であり、因果応報ではないか?」という思いを人々に芽生えさせている。各々が、不要なまでに急速な勢いで拡大される「消費社会」の弊害に目を向け、そのことが地球環境や人類を含めた地球上の生命に如何なる危害を加えているか?冷静な目で見てほしい。それができれば、私たち人類にはまだまだ「まっとうに」やり直すチャンスはある!
(つづく)