私の考える「水道の民営化」
閑話休題−2
「水道の民営化」議論が俎上に上がって来た背景には2つの要素がある。
1.原水の水質の劣化により、水道水が美味しくないだけでなく、健康面で少なからずの懸念を抱かせる存在に成り果てている。
2.また、現在の水道施設及び水道本管等の管理維持には莫大な費用がかかり、それを税金で賄うことが最早困難になって来ている。
つまりは、水道事業が元々は有していたはずの「再生可能性」を失い、何らかの抜本策を講じなければならない局面を迎えているからこそ、自分たちの非を認めたがらない行政やら政治家までが「この議論」に渋々身を乗り出してきた。
そこで、今年に入って、身近な行政に今ブログで連載しているものを「私の水道民営化論」として、提案してみた。
以下は、それに対する回答の要旨だ。
1.水道事業は、水道法に基づき、事業経営を行っており、水道事業に求められていることは、安全で安心な水道水を安価で安定的に供給することであり、もって公衆衛生の向上と生活環境の改善に寄与することであります。
2.この水道事業の基本的な考え方に基づき、本市におきましても、安全な飲料水を安定的に供給するため、災害に強い水道施設の構築を図りながら、効率的な事業運営を進めております。
3.今回ご提案いただいた水道事業を「飲食用」と「生活用」に分けた上で、生活用水のみを水道事業(公共)が担い、飲食用を民間に移譲するということは、法の趣旨からしても困難であると考えています。
4.官民連携自体は、より効率的な事業経営を継続していくために必要な手法であるとは考えていますが、第一は、市民の皆様が安心してご利用していただける水道水の供給に努めていくことであると考えていますので、ご理解ご協力をお願いいたします。
この回答には、何か抜本的な解消策を含まれているか?と言えば、単に「現状維持」を宣言するばかりのものだ。
アメリカが35年以上前に進めた「水道の民営化」策を、「安全で安心な水道水を安価で安定的に供給することであり、もって公衆衛生の向上と生活環境の改善に寄与する」という観点から検証した上で、返答するというならまだしも、上記回答は政治家や官僚の独り善がりの答弁と寸分と変わらない。
そもそも、「健康面から少なからずの懸念を抱かせる水道水を供給している」という意識など毛ほどもないのだから、「暖簾に腕押し」「馬の耳に念仏」だ。
が、それでも閑話休題としてわざわざ掲載したのは、「大江戸3部作」を見て、江戸時代の日本人は今より遥かに創造力も知恵も身につけ、聡明だったと感じたからに他ならない。それに比して、私達は退化している。「ことの道理」を理解できない人間に成り下がっている。その事実を江戸との対比を通して、心ある人に自覚していただきたくて記した。
江戸時代は、民の創意工夫が花開いた時代だ。多くの町民が商いに関わり、様々な商売も生まれた。経済の活性化は、民の活力が引き出し、発展させたと言っても過言ではない!政(まつりごと)が、経済にちょっかいを出すことなどなかったが、それが「需要と供給」に即した健全且つ循環型の経済発展を可能とした。
それに比して、今の政治は経済に口を挟むことを「常態」と心得違いをしている。そうしたことが、「私の考える水道の民営化」に対する回答にも滲み出ている。「お上のやることに口を出すな」という態度が、私達の感じる「閉塞感」の素になってしまっているが、このままでは、私達の創意工夫が世の中に反映される機会は永遠に失われてしまう。
そうした思いを改めて記し、閑話休題を閉じることとする。