私の考える「水道の民営化」
4.水道事業こそ民営化を!
a. 重厚長大の非採算性
手元に「群馬県東部水道広域化事業の基本構想」に関する資料がある。太田市、館林市、みどり市を含む3市5町で上水道事業を広域化することで、行政区域を越えた効率的な経営を目指すとしている。2015年から2024年の10年間で施設整備で65億円・老朽化した施設の更新に241億円(単年度に換算すると約24億円)、2024年から2050年までを長期計画として施設整備に40億円・施設の更新に1,318億円(単年度に換算すると約55億円)をそれぞれ試算している。効率的な経営を目指すとしながらも、毎年55億円にも及ぶ施設更新費を試算してみせる神経は如何にも公共事業的と考えれば良いのか?だが、このとてつもない金額は、今のままの設備を自分たちが運営した場合に掛かる費用を計上しているに過ぎない。そして、「国庫補助が当てにできる内に広域化を果たせば、もっと効率の良い運営ができるので、水道料金の値上げも圧縮できる」としているが、肝心の広域化した場合の施設整備費も施設更新費の試算も示されていない。
その上、上記はあくまで群馬県東部のプランに過ぎない。こうしたプランを県全体に押し広げた場合は、一体どれほどのお金がかかるのか?なぜ、政治も行政も、斯くも財政状況に無頓着でいられるのか?
それを税金を頼って事業化しても、本県の経済を活性化させることにはならないのは自明だ。施設整備段階で仮に国庫補助が得られたとしても、施設の更新にかかる経費には県税を投入するしかない。一方、弊社が開発したプラントを利用した水工場は、2,000万円で事業を開始できる。当然ながら、民間の資金での開業となる。大雑把な計算となるが、この工場は10,000本の製造販売ができれば十二分な利益を生む。3市5町の飲用水を天然水工場が賄うとすれば、水工場は100あっても足りない。1工場に2000万円はかかるので、100ならば20億円はかかる。だが、そのそれぞれが利益を生むのなら、地域経済は間違いなく活性化する。その分の雇用も創出される。広域化事業で想定された施設の更新費に該当する費用も、それぞれの工場が利益の中から捻出して行くこととなる。そこに於いて、行政が進める事業との差は決定的なものとなる。その上で、それぞれの工場が順調にスキルを積み、成長を遂げて行けば、首都圏向けの供給を目指すのは必至だ。群馬県の天然資源を、県全体が潤うために有効活用する道が拓けて行く。
b. 社会資本の限界
社会資本と呼ばれるものは、多くの場合「コンクリート」で作られる。橋とか道路とか水道施設などがその例だ。だが、コンクリートで作られるものの寿命が明らかになって来ている。そして、税金で作られるものは非営利を前提としているため、「利益」は産まない。それがために、管理にも不行き届きが生じてくる。水道を例に取れば、水道局は浄水場を出るまでの水質には責任を持つが、それ以降に関しては調査すら行わない。水道本管の漏水には責任を持つが、支管については「管轄外」という立場を取る。そのため、蛇口から出る水の質は劣悪なものとなっても不思議ではないような状況に置かれている。水道水に発がん性物質「トリハロメタン」が含まれている問題は、解消された訳ではない。
c. 合理的な決断
アメリカは「飲用水」の供給に関しては、民間に委ねた。その選択は合理的で正しい。飲用水の「安全性確保」には、見えない経費がかかる。そこに税金を投じても、一体いくら掛ければ十分と言えるか?保証できないのが実情だ。それだけ、人間が一度汚してしまった水を飲み水に変えることには膨大なコストが生じる。それを、税収で賄える内はそれでも良かった。だが、それができなくなってきているのだから、私たちは考えを改めないといけない。何が「財政赤字」を生む温床になってしまっているのか?成長を果たした国がその果実を末永く味わうためには、成長期とは違った節度と合理的な判断が求められる。地球の壮大な営みによって、再生を果たしたばかりの「天然水」を大きな容器に入れて届ける。それが、一番コストを掛けずに人体にもやさしい。県(政治や行政)がその合理性を公平・公正に判断することができれば、今まで通り、首都圏の水瓶としての役割を果たしつつ、県の経済を飛躍させることができる。
「天然水」を供給する「天然水道網」を民間の力を使って整備する。この発想の中にこそ、再生可能経済の種子が眠っている。その秘められた力を400〜500年を掛けて巨木に育て上げていく。私は、早くその出発点に立ちたい!と願う。
(つづく)