お金の使い様
人間の世の中は、実は「理屈」で動いている。だが、それが「そうではない!」ように見えてしまう。この世は、「人々の感情」や「お金」や「思い込み」に支配され、「理屈通りに動いているようには、見えない」。だが、それが「意図的」に、「そうは見えないように設えられたものだとしたら、どうする?」
いつの世でも、人間の世界は、少数の支配層と大多数の非支配層によって構成される。私が言う「理屈」とは、産まれながらの人間に、目印が付けられて、「あなたは支配層」「お前らは非支配層」と分けられているわけではない!ということだ。だが、少数の支配層の力による支配では、「屁理屈」が「理屈」として通ってしまう。「無理が通れば、道理は引っ込む」が、堂々と罷り通る。そこでは、「産まれながらに高貴なお方」と「下賤な下々」は、元々「目印」が付けられているかの如く語られ、実際に線引が行われている。
嘗て無いような「貧富の差」が世界中を覆っている。ここで、私達が「本当に理解せねばならないこと」は、「自分が支配層に組みしていない限り、私達はその他大勢の非支配層であり、下賤な下々であり、貧富の内の圧倒的大多数を構成する貧者であるということ」だ。そして、もう一つ理解すべきは、一握りの「富」に対して、圧倒的な数の「貧」が付き従うことの「滑稽さ」は、自らに「賢さ」が有りさえすれば、決して起こり得ないということだ。それが、私の言う「理屈」だ。
銀行からカネを借りず、大資本が大量生産するものを売りつけるための「宣伝広告業界」の手法を逆手に取る。銀行からも人様からも金を借りない。自分の蓄えを「有効に使う」ことを通してしか、本当の「お金の使いよう」は体得できないからだ!だが、体得さえできれば、そのお金を「テコ」とすることで、現実に楔を打ち込むことできる。この一連が、私の中で、明確に機能し始めたことを実感している。
(完)