Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

商売の秘訣


商売がうまく行くかどうかは、担い手が「需要と供給の関係を把握する」度合いによって決まると言って良い。が、それ以前に、需要側と供給側の数的バランスが問題となることは言うまでもない。

簡単に言えば、買う人に対し、売る人の比率が高ければ、1人が売れる平均的な数量は低い水準に留まる。だが、それは、あくまで平均数量であり、実際のところはたくさん売る人も居れば、ほとんど売れない人も居る。一昔前までは、小規模なお店が集まる商店街が日本中にあった。当時は、一軒一軒にお得意様が居て、それぞれのお店の需要と供給の関係は、「ピッタリと合っていた」。そのため、店主にとって「需要と供給の関係を把握する」ことに難しさはなかった。

だが、「好景気」が徐々に、その需要と供給の関係を崩して行くこととなった。景気が良いと人々は消費に走る。無駄遣いを平気でするようになる。所謂、「あぶく銭」と言われるものが生じ、それを皆が使い回すようになる。そうなると、人々の中には、その「あぶく銭」を「投資」や「ギャンブル」に振り向け効率よく増やそうと考える者が現れる。ただ、漫然と消費(需要)側に居るのではなく、供給側に回ろうとする者が現れる。「売れば、何でも買ってもらえる」時代には、供給側に居るに限ると多くの人が考え始め、それが当初はことごとく「当たった」。お陰で、需要と供給の関係は、完全に「ブラックボックス」入りすることとなった。

それに「輪をかけた」のが、スーパーの存在だった。単に供給側にシフトするのではなく、もっと「効率よく」儲けるために、小規模なお店の集まる商店街に代わって、郊外にスーパーが進出を始めた。当初は、進出企業と旧来の商店主たちの間で、「紳士協定」のようなものが結ばれたが、スーパーの進出はとどまることを知らなかった。商店街が「シャッター街」に変わり果てる必然は、その時点で決まったと言っても過言ではない。

その後に生まれた、スーパー同士の競合は、需要と供給の関係を決定的に崩し去った。圧倒的な「物量を背景に安さを競う」商売は、デフレ経済を呼び込む。その意味で、私達の社会は「必然の産物」であることを、肝に銘じておく必要がある。

近年のインターネット通販は、デフレ経済をより決定的なものにする。そこには、1億8千万点に及ぶ商品(在庫)数を誇る巨大モールが存在し、無数の供給者がひしめいている。その中には、昔の小規模な商店主から、スーパーに該当するような大規模店に至るまでが「ごった煮」状態で同居している。供給側が多すぎて、1軒当たりの売れる量は知れている。それを、無理矢理宣伝広告を掛けて売れる量を増やしても、「安くでなければ売れない」のだから、商売としては成り立ちようがない。デフレ経済下で、「抜きん出る」ためには、負債を背負い込むリスクと常に背中合わせとなる。それは「タイトロープ(=細い細い綱を命がけで渡る綱渡り)」そのものだ。多くの人が、その綱を踏み外し、谷底へと身を投じている。最早、ネット通販バブルが弾ける日も、そう遠くはない。既に、ネット通販を支えてきた広告関連業者は、「まとめサイト」のようにお手つきをした挙句、閉鎖に追い込まれる事態に追い込まれている。

基本的に、「需要と供給の関係」を把握しなければ、商売はうまく行かない。供給側が需要側を大きく上回っている限り、その数的バランスを整える以外に、供給側が生き残りを果たせる道理はない。
それを、「あぶく銭」を増やすことで切り抜けて行こうとするアベノミクスは、日本の経済を決定的な局面に導くことになるだろう。「カジノを合法化することを成長戦略の一環にする」という発想などは、既に、常軌を逸している。
デフレ下で経済を成長させることはできない。それは確かだが、デフレ経済を必然化させてきたのは、「インフレ」「好景気」だった以上、仮にそこに戻れても問題が解消する訳でないことは明らかだ。一旦、「デフレでも、インフレでもないニュートラルな経済、つまりは再生可能で持続性のある経済に立ち返る」必要があるのだ!

「需要と供給の関係」を把握せずに、「あぶく銭」を作り出し、それを「投資」や「ギャンブル」に振り向けさせようと考える政府のもとで、私たちは暮らしている。これは、「不幸」なことだ。が、「飼い慣らされた」私たちには、その「不幸」すら見えていない。

私は、人々に「儲ける」ことよりも、「生計を立てる」ことに商売の意義を見いだしてほしいと願う。末永く、孫子の代まで「安心して暮らす」。そのための「生計を立てる」舞台として、商売を考える。なぜなら、それが、商売の原型だからだ。昔から、「御用商人」という者たちが居た。権力に抱えられた商人たちを指す。いつの時代でも様々な利権にありつき、効率よく稼ぐ商人は居た。だが、一般の商人が「そんな夢を描いても、得るものはない」。「生計を立てる」ことに徹することこそが、独自の到達点に辿り着く確実無比な「道」だ。

たとえば、「需要と供給の関係」で言えば、圧倒的に供給量の少ない「天然水」を地道に広げていくことを商売とする。私は「これに勝る商売はない」と考え、もう30年以上も、取り組んでいるが、普及は一向に進まない。だが、この間「生計は、間違いなく立ててきた」。そして、今後も生計が立っていく自信は揺るがない。この難しい時代に、孫子の代まで「安心して暮らす」ことができると確信できるのは、皮肉なことに「普及が一向に進まない」からだ。だが、需要に対して供給量が少ないからこそ、いつまで経っても競争のない商売を営むことができる。(そして、そこが「平常点」であるかぎり、今後予想される様々な事由に拠る、「公共水道の供給減」に際しては、無類の対応ができることになるのは言うまでもない。)

これが、私の考える「商売の秘訣」だ。「生計を立てる」中で、独自性を磨く。年月が積み重なっていくと、その独自性は、「知恵」や「知識」となって、一つの「境地」を生み出すに至る。それを、私は「人生の得難い楽しみ」と感じられる年となった。

(完)


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