水はすべての源
アクアクララ商法の首が回らなくなって来ている。「RO水」を有難がって飲む人はもういない。そのため、コスモウォーターは、「天然水」と「ワンウェイ」をこの業界に持ち込んだ。だが、「ウォーターサーバー」を軸とする業態は、そのままだったため、エンドユーザーへの訴求力は得られなかった。サントリーまでが同じ商法に乗ってみたが、結果は同じだった。
日本は、世界の中でも極端に高齢化が進み、社会の仕組み自体を「恣意的」に変えて行かないと、現実と制度の乖離は甚だしくなるばかりだ。例えば、「水」一つとっても、高齢化に伴い、様々な弊害が発露している。
寿命は伸びたが、それは健康寿命を意味していない。骨粗鬆症や認知症が、「天然水」の代わりに「水道水」を飲み続けていることにより、発症してしまっている。その因果関係を公然と口にする医師も増えた。癌の発症と、水道水に含まれている発がん性物質の因果関係を否定できる人はいないだろう。また、人間の健康を司る腸内細菌が、「水道水」により、その働きが妨げられ、「天然水」により活性化される事実も多くの人が知るに至っている。だが、まだ「水道水」を「天然水に変えよう!」という動きには至らない。
とは言え、一方で、その当然の帰結として、「医療費や介護福祉費の爆発的増大」、「高齢化に伴い、人口構成の逆ピラミッド化による財政の破綻」は、止めようのない事実として、私たちの目の前にある。これを、「資本主義的な成長」で乗り越えるという図式は、もう成り立たない。私は、そのことに「目覚めてほしい」と願い続けてきた。が、最早「願わずとも、現実の方が先にやってくる」。「いくら税金を集めても、足りない。アクアクララ商法と同様で、国の首も回らなくなってしまう!」
だが、現実問題として、国よりもアクアクララの方が先に潰れる。だから、わたしたちには「やりようがある」。否!「やるべきことがある」。膨大な需要に対し、その一部であれ、供給できる輪を作り上げて置く。「天然水の宝庫」である日本で、改めて、その「宝」を人々に供給できるネットワークの原型を構築して置くことだ。
6リットルのペットボトルを手に入れ、それを運送会社の力を借りて、届ける。これなら、ウォーターサーバーがなくとも、「天然水」を欲しいと思う人に、「直接」「安価」に届けられる。入り口とするのは、ネット通販だ。代理店はいらない。否!代理店を通さないことでしか、「適正価格を消費者に示し通すことはできない!」
恐らく、地方の天然水工場を機能させ、広めて行くには、この方法しかない。ポリカやトライタンのように繰り返し使うボトル用プラントでは、初期投資がどうしても膨らんでしまう。ボトルが大き過ぎる分、ウォーターサーバーは必須となるし、このビジネス自体が、最早ウォーターサーバーの呪縛から逃れられない。だから、人々に別な発想で、「水道水」に代わる「天然水」を手にしてもらう。
そこに、需要と供給の関係の「妙」が「在る」。「売る側」の作り出す「需要」に、「人々が乗る」ことはない。なぜなら、「売る側の作り出す需要」には、「ターゲット」となる層を「想定(限定)する」必要があるからだ。アクアクララは、その「ターゲット」を「お金持ち」とした。自分たちが売る高い水を買ってくれるのは、「金持ち」しかいないと、彼らは決め込んだ。つまり、元々アクアクララは「万人」向けに水を売り出した訳ではない。しかし、それにしては、「売り出した水(=RO水)が、チープ」過ぎた。ターゲットを「お金持ち」に絞るなら、水の質に拘るようでなければ、「売れようがない(=買いようがない)」。結局のところ、「チープな水」には、「お金持ちではないお客様がついた」。「サーバーレンタル代を無料にする」という営業につられた人たちが、その条件である「月2本の使用量」の範囲で、「チープな水」を消費してくれている。だから、アクアクララの生み出した「商法」は、最早供給側の「首を絞める」以外の結果は、導き出せない!
そこで、逆に、この間に「本物の需要」は高まってきている。供給側が気がつけない分だけ、「人々の無い物ねだり」は、「水道水に代わるもの」「水道水に代わり得るもの」という具体性を伴って来ている。
問題は、三点ある。
1.「水道水に代わる」供給量とは、余りに膨大で、現在ある水会社や水工場ではその量を賄い切ることはできない。
2.供給側の想像力・創造力の無さ故に、「本物の需要」の存在がまったく意識されていない。
3.流れを作り出すためには、一定量の供給量を持ったところが、「最初の一歩を踏み出すしかない」のだが、業界の呪縛がそれを阻んでしまっている。
「水はすべての源」だ。だから、勿論「成長の源」でもある。私は、電力の自由化後の「最後のフロンティア」として、「天然水道網」を提唱している。「地方経済の活性化」策としても、「成長戦略」としても、我が国最大にして唯一の天然資源を有効に使うことは、道理に適っている。そして、人々が、「それに気がつかない」ことが、逆に「すべての源である水」の活用に着目した時の、伸びしろを示している。
大相撲で、豪栄道が優勝を飾った。大関に昇進した時に、「大和魂を示す」と誓った豪栄道がその誓いを果たした。日本人力士の横綱「0」から始まった力士たちの挑戦は、13年以上を経てようやく実を結ぼうとしている。その流れは、他のスポーツ界にも共通している。「0」からのスタートは、苦難の道だが、それだけ「反発力」を養うことで、驚異的な「伸びしろ」を手にする。
日本の経済にも、この「0」からのスタートが求められている。いつまでも、「円安・株高」を「神頼み」するのではなく、個々が
「反発力」を磨く。ビックデータと呼ばれる過去の成功例や定石に囚われることなく、自らの持ち味に即した新たな発想力を持つ。その時、「大和魂」の源ともなった「日本の天然水(=天然資源)」に目を向けることを忘れてはならない。なぜなら、日本の豊かさは、有史以来この資源を元に培われて来たからだ。その源に還る。そこを日本経済再生の出発点とする。
本当の豊かさは、グローバル経済とは無関係に達成できる。スポーツが「己に克つ」ことで、個々の力量を最大化させるように、「無から有を作り出す発想と、そこに人が労力を掛ける」ことこそが、「豊かさを生む元」となるからだ。
(完)