ニーズ
私がなぜ?「水のブログ」で、経済や金融の話をするのか?と言えば、今の時代は、政治も私たちの暮らしも、すべてがお金(マネー)に振り回されてしまっているからに他ならない。人々は口を揃えて「お金がなければ、始まらない」と言う。それは、確かに現実だ。すべての「もの」、すべての「ことがら」がお金に換算される。だから、考える尺度がどうしても「お金」一辺倒となってしまう。この「お金(マネー)」は、グローバル経済と共に、またたく間に世界中に広がった。
広がったものは「意識」だけはなく、「お金」自体も広がって、その分だけ、相対的な価値を減少させるに至っている。大量に出回っているモノは、その価値を下げる。だから、金融緩和を行えば、その国の通貨は相対的に安くなる(はずだ)。それが、アベノミクスの狙い目だった。「円安、株高」というシナリオは、そうした皮算用で「描かれた」。だが、欧米の主要国とはちがって、日本はそうはならない。アベノミクスの仕掛け人、安倍晋三氏は、アメリカやイギリスと同じ策を弄すれば、同じ結果がついてくると信じ込んでいる。彼には、グローバル経済の胴元は誰?で、日本はその「賭場」に足を運ぶ客人にすぎないということが理解できていない!
日本の為替を決定しているのは、「市場経済」のメカニズムではない!それは、超大国アメリカの胸先三寸で決まる。だから、日本は30年以上に渡る「円高」で、世界第2位の経済大国の座を追われた。日本の株価は、30年前を最後に最高値には遠く及ばない。それに比して、アメリカはリーマン・ショックで半減したものが元に復しただけでなく、新たな史上最高値を更新し続けている。その違いを「理解できない」者に、経済政策を任せても、思い通りになる道理など無い!
愚策(=アベノミクス)に拘るなら、日本の財政は「破綻」へまっしぐらの道を進む。それは、将来的な「大増税」に結びつく。否!それは未来のことではなく、もう始まっている。そもそも、消費増税は財政の「破綻」を先送りするためのものだった。が、その増税を、自民党は参院選を前に保身のために見送った。そして、その代わりに「相続税」の増税を決めた。支出の削減はせず、大盤振る舞いを復活させるために、国民の懐に手を突っ込んで、取れるものはなんでも取り上げる「政治」が進んでいる。
アベノミクス同様、「大型容器の水宅配業」も今のままでは、まちがいなく「破綻」する。この「ビジネスモデル」は、「儲かりようがない」。何故か?と言えば、バブル期と同じ商法を盲目的に続けているからだ。買ってくれる人が少なすぎる。売れない水を買ってもらうために、サーバーをただで貸す。計算上、「儲かりようがない」ことを、いくら続けても儲かるようにはならない。だが、「安倍氏のアベノミクス」同様、やっている当人たちには、その点が全くのところ「分かっていない」。「カネがカネを生む」と信じている人たちは、哀れだ。「お金は紙でできている」。「それを増刷し続ければ、最後には本当の紙切れと化す。」だが、それで「チャラ」になる訳ではなく、「借金」だけは厳然と「残る」。そうした将来を察知して、「消費」は急速に縮み込んでいる。
本当は、カネがなくとも、経済は動く。それは、「ニーズ」さえあれば、経済は成り立つからだ。世界人口は嘗て無いほどに膨れ上がっているのだから、「ニーズ」には事欠かない。だが、大半の人には「お金」が行き届かない。行き届かないだけではなく、税金や公共料金の値上げやスマートフォン代で、懐は「どんどん」お寒くなるばかりだ。
金融緩和で増刷した「マネー」は、偏在し、マイナス金利になっても、設備投資には差し向けられない。設備投資をして、生産を拡大しても、誰も買ってくれない。それを繰り返していれば、「経営者マインド」も縮み込むしかない。マネーを通した経済は、明らかな「変調=機能不全」を来しているのだ。
供給側が多すぎれば、共倒れする。それは、資本主義経済の避けて通ることのできない宿命だ。だからこそ、資本主義は「競争原理」を建前としている。熾烈な競争に負けた者は、市場から放り出される。そのことによって、供給側の数は適正さを保つ。だが、日本は、「横並び」を建前としているため、「退場者」を出そうとしない。その「甘さ」と言うか?元々日本の「義理人情」や「集団主義」は、資本主義とは相容れない要素を多分に抱えている!
もう一つ、資本主義に必須なものがある。それは「成長」だ。成長のない資本主義など成り立ち様がない。成長とは、たとえばインフレや、給料の伸長で測ることができる。物価でも良い。だが、そのどれもが、数値を増やし続けることなど、現実的ではないことは赤子でも分かる。その帳尻合わせに、「金融」だけが動くようになる。それは、日本だけでなく、グローバル経済で括られるすべての国々で、資本主義を末期的な症状へと導いている。
「金融」資本主義では、広く浅く、人々から(手数料名目等で)お金を集める。それを、放置しておくと、人々が消費にあてていたお金を奪う結果をもたらす巡りを迎える。「スマートフォン」の普及を例に取ってみよう。「スマートフォン」が、普及するまでは、確かに製造業の一部が活況を呈した。が、普及し終えると、その活況は終わる。そして、その後は毎月、数多の人々の懐から「通信費」の名目で多大なお金が自動的に抜き取られる。人々の給料は上がらない。そして、以前なら「お小遣い」として与えられていた以上のお金が、「通信費」名目で消えていく。代わりに、その人が得るものは、「非生産的な手慰み」と「時間の浪費」だ。人々が「お小遣い」で、買い求めていた「趣味の品々」や「ちょっと一杯」で生計を立てていた「お店」は、「閑古鳥が鳴く」ようになり閉店を余儀なくされる。だから、実経済(=実際にものが動く経済)は、どんどん縮み込んで行く。そうした「流れ」を、止められる人は「もう」居ない。
だが、「ニーズさえあれば、お金が無くとも、取引は成立する」。人類は、史上最高の人口増を更新し続けているのだから、その人たちが、「時間」を生産的な作業に「振り向ければ」、世界は変わる。今のように、要らないものをみんなが競うように作るのではなく、「ニーズ」のあるものを、創造性を持って作り出す。そうすれば、当然のことながら、消費は元に復す。
keyとなるのは、今のお金が持つ「価値観を変える」ことだ。つまり、いつの間にか「現実」から逸脱してしまった「お金の尺度」を、見直す。早い話、「労働の価値」を元に「お金の価値」を元に戻す。カネがカネを生み出す、社会では人々は「向上心」を保つことができなくなる。膨れ上がった世界人口が、向上心を捨て、錬金術に現を抜かせば、世界はどうなるのか?それが、今目の前で繰り広げられている人々の醜態だ。そして、日本では「アベノミクス」が、その因を作り出し、人々を腐らせている。
今の水道水に匹敵できる価格で「天然水」を各戸に届けられれば、そこには圧倒的な「ニーズ」が生れる。しかし、それを「やり遂げる」だけの「資金や力」をエアは持たなかった。だが、数年前から、そこに足を踏み入れている。「マネーが紙切れと化す」という「瞬間」が、もういつ訪れてもおかしくない社会が目の前にある。だから、その「瞬間」がいつ来ても、十分な「抗体」を有していられるように、エアは「体質改善」を進めて来た。ネットを通して、人々の「ニーズ」を知り、自分たちの扱う「もの」と「価格」に自信を深めて来た。だから、私たちは、引き続き、「ニーズ」あるもの通して、賢い消費者との関わりを深めていく。
(完)