原点に回帰する
「内需の拡大」が、グローバル経済で変質を余儀なくされた「日本経済」の立て直しには不可欠だ。発達を遂げた物流を駆使して、製造者と販売者と消費者のそれぞれが利益を享受できる「内需の拡大」を図って行く。
グローバル経済が、結局どの国の経済も「ダメ」にしてしまった理由は、「競争力の強化」と称して「経営の効率化」を極端に推し進めたことだ。その「効率化」のために、何をしたのか?と言えば「人減らし」をした。或いは、仕事自体を海外へ移転させた。だから、先進国と呼ばれる国の人々は収入を得る術を失った。あるいは、「正規労働⇒不正規労働」へのシフトで、安定的な収入を絶たれ、結果的に収入を減らすこととなった。そのことで、先進国は自らの経済を支えてきた「中産階級(=中間層)」を一挙に失った。
上記が「すべて」であり、事の始まりだ。人々に職を確保して、安定的な収入を保証する。これが本来、政治(国)が為すべきことだ。が、どの国もそれを投げ出した。なぜ?そんなことをするのか?これほど「バカげている」ことはないのに、我が国の「お馬鹿」な安倍首相も「競争力の強化」にしか頭がない。必要なものは、「競争力」なんかじゃない!皆が仕事に励み、その結果として収入を得、そのお金で生活に必要なモノを買い求める。その需要と供給のバランスさえ取れていれば、「内需の健全な拡大」はごく自然に進む。それが鎖国をしていた江戸時代に、日本が豊かさを蓄積できた理由だ。
地方から、「需要と供給」の関係の立て直しを始める。それを発達した物流を駆使して、大消費地を含む日本全国に行き渡らせる。それを通して、人々が必要な職種を改めて選択し、安定的な雇用と収入を確保する。「人が働く」ことに、効率化など要らない。個々が十分に「頭も体も」動かすためには、不効率なことも厭わないような社会の方が良い。そして、そういう社会では、たくさんの人の労力が必要とされる。だから、農業のように「お天道様と土地と勤労」さえあれば食物の拡大再生産が適うような産業にもっと人々は回帰すべきだ。
私たちは、そうした社会を目指すべきだということを指摘しておきたい。
(完)