Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

ミトコンドリアの不思議


私の妻は、私の考えを相変わらず「荒唐無稽」な考えで「飛躍のし過ぎ」だと言います。しかし、私たちは、「神様」一辺倒でも「科学」一辺倒でも説明がつかない問題を、たくさん抱えてきたではありませんか?私に言わせれば、「神様」や「魂」という考え方も、「薬」に集約される「科学的な」考え方も「薄っぺらさ」を拭えません。目の前の「現実」の方がよほど「荒唐無稽」だと思います。「飛躍し過ぎ」か?否か?は、結局の所、どれほどの説明が「矛盾」なしにできるのか?否か?ということで実証されます。その実証には、それなりの時間もかかることでしょう。しかし、神様や科学に頼っても、今の人類は「自滅」から逃れられない地点まで既に歩を進めています。そして、迫り来る「現実の脅威」が、「逆説的に」に真実を明らかにして行くはずだと、私は考えています。

殺菌剤や化学合成物質を含む「人工水」ではなく、「天然水」を飲む。それは、実は私たちのためだけに必要なことではありません。それは、「人体常在菌」に活力を与え、ミトコンドリアがエネルギーを作り出すために必要不可欠なミネラル分を補給するためです。「彼らが健全さを保つことが、宿主である私たちの健康を支える。」「天然水」は、その意味において、地球上のあらゆる生命を「つないでいます」。そして、今後も間違いなく「つないでいくことでしょう」。

しかし、残念ながら、私たちはその「つながり」を見落とすに至っています。何が一番大切なことなのか?私たちは、「生きる」ことの根底にある極めて物理的な働きから目を背け、いつの間にか「経済」のためなら何でも投げ出しかねない状況に陥っています。それが「人類の自滅」という巨大な落とし穴を「コツコツ」と作り出してしまっている事実に、私たちが気が付くことはあるのでしょうか.....?

太古の昔。水は、「あらゆるものの源」と考えられていました。その時から、私たちの祖先は「真実」を慈しむように手のひらに乗せ、大切に育んできたのです。しかし、その子孫である私たちは、手のひらに乗せたものの価値が分からないまま「首をかしげています」。そして、「自由」の名の下に、「守らなければならないもの」や「自らに託されたあらゆる責任」を今にも放り出そうとしています。
「つながり」を自覚できない「自由」に意味などありません。それにも関わらず、世界中が「自分たちだけの自由」を「尊い」として、声高に叫び合っています。それが、どういう事態に発展するか?は「火を見るより明らか」という他はありません.....。

(完)


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