売らない水、買わない水
20.私たちの目指す「天然水道網」も、「里山資本主義」に依拠することを「学ぶ」べきだ。「再生可能性」を根拠とすることで、そこで繰り広げられる経済活動はしっかりとした「継続性」を得る。私たちは、そもそも自分たちが生きて行く「生き方」として、或いは生業として「水商売」を始めた。だから、それで「食べて行くことができれば十分ではないか!」それよりも、私は「供給力」という「力」を得たい。その「力」を得ることで、より多くの人々に「普遍的な価値」を手渡して行きたい。それが、この「水事業」ひいては「地球」を子々孫々に受け継いで行く基盤作りに直結する。「普遍的な価値」を隅に追いやり、「人為的な価値」一色に染められた社会がいつまでも矛盾なく生き長らえることなどない。「里山資本主義」と名付けられたもの以外に、持続性を担保できる経済活動はあり得ない。それは有史以来の「お定まり事」と言っても過言ではない。膨大な人口を抱え、資源の先細りと気候変動という「待ったなし」のリスク要因まで作り出してしまった人類は、「このまま突っ走るか?」それとも「本来の謙虚さを取り戻すのか?」の岐路に立っている。
「天然水」という名の「普遍的な価値」の「普及(=回帰)」に向けて、私たちは、ようやくその入り口に立つことができた。そのことを宣言して置きたい。読者諸氏におかれては、ご自分の観点で構わないので、是非「なにがどうちがうのか?」を「考え」「学ぶ」機会としていただきたい。
(完)