「飲用水」事業の民営化を!
経済は、「生き物だ」と言う人がいる。生き物ならば、人に喩えよう。成長が終わった人が必要以上に栄養を取れば、肥満に陥る。ただでさえ、「飽食」の時代に切りもなく食べ続けると、人はいくらでも大きくなれる。自分一人では動けなくなるほどに太ることさえできる。だが、そこまで太ると人間自分で自分をコントロールする「力」を失う。人間は「飢餓」には対応する「力」は備えているが、「飽食」「肥満」には対応できない。自分自身で律して余分な体重を落とさなければ、「命を縮める(早死にする)」他ない。
現代の経済が陥っているのも、まったく同じ状態だ。成長が終わってしまったものに、栄養(緩和マネー)を与えて、人々に浪費を促し無理矢理数字上の成長を作り出す。その緩和マネーの財源は、税金だ。だが、その税金でも足りなくなり、各国共将来の税収まで担保に入れて、成長を演出しようとしてきた。そのお陰で、経済は「自律性」を失った。人間の肥満に当るものは、「財政の赤字=借金」だ。それを、自分たちで律して減らす努力をしなければ、国家は「死を受け入れる」他ない。だから、私たちが忌み嫌う「デフレ」は、経済の「自律性」の顕れであり、それが指し示す「ダウンサイジング」に即して私たちは財政の赤字を減らしていく道に進んで行くしかなかった。それが、「知恵」ある者が取る「道理」というものだ。だが、これ以上になく太ってしまった人が「ダイエット」に取り組んでも、余程に強い精神力がなければ直ぐに挫ける。人は、「この上なく弱い」ものだ。そして、一旦「無理が通れば道理が引っ込む」状態を作ってしまうと元に戻すことは容易ではない。同様に、世界経済も「金融緩和」の甘い誘惑に抗することができない。
(つづく)