Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

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日本の豊かさは、無尽蔵な水資源とその天然資源によって育まれてきました。それが、気が付いてみると、エネルギーの枯渇や悲惨な原発事故を経験しても、水力という再生可能エネルギーに目を向けられないほど、私たちの「頭」は硬直化しています。

水道水の中には、この間に人間が作り出してしまったものが「澱」のように漂っています。それは、設備の老朽化や防錆剤として塗ってしまった発がん性物質や殺菌剤として用いている塩素を始め、浄水場で投与される様々なものの残渣です。また、高度成長を通して悪化させてしまった水質の汚濁もそこに含まれています。それは無尽蔵な水資源を活かすという「知恵」をどこかに置き忘れてしまった日本人が、目の前の「天然水」の代わりに日常的に体内に取り込んでしまっている「得体の知れない」代物です。

理屈に合わない「経済成長(=経済の拡大)」を追い求めるあまり、「精神的な成長」を投げ出してしまった人類に、「すべての源」である「水」は警告を繰り返しています。私たちは、その警告が「聞こえる」人たちに呼びかけを続けています。「体の隅々まで、天然水で満たそう!」と。そして、「人間が育んできた知恵を、活かせる頭を取り戻そう!」と。天から授かったものを疎かにして、人間が自然界を生き延びていくことなどできません。それが「真理」です。お金という紙切れに、「余剰」」は生めません。「余剰」とは、人間の労働力が生み出すものです。同様に、本当の意味での「富」は、再生可能エネルギーや再生可能品(=木材や農産物)からしか生まれません。そして、その「自然が織り成す再生可能システム」にはいつでも水が関与しています。それが、「水はすべての源」と呼ばれる由縁です。

多くの人が、「水は儲かる」と考えています。それは、「水はすべての源」だからです。しかし、「無から有は生まれません」。目の前の「有を活かす」という「知恵」や「気転」にしか、富を生む必然性は宿りません。「水」が発する警告が「聞こえる(理解する)」人を増やし、「天然の資源にまっとうな労力を掛け、その恵みや価値を共有する」。そういうコンセンサスが形成できないかぎり、多くの人が考える「水は儲かる」という状況は決して生まれることはないのです。

(つづく)


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