Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

過熱する地下水ビジネス

弊社洗浄充填機の月産は、1日7時間月25日稼働で、16,000本となる。それを、1軒の顧客が月4本ずつ消費してくれるとすれば、顧客世帯数は4,000軒となる。また、5本ずつの消費なら、3,200世帯にしか配れない。この数字の顧客数を全国から集める必要はあるのか?関東全体?東京?それと港区?
そう!せいぜい東京23区の1区もあれば十分だ。誰でもが利用できる価格を示して、クレードル&バルブを無料で配布し、自慢の「天然水」をまずは飲んでいただく。おいしくて、安ければこちらが「定期購入」を持ちかけなくとも、顧客の方から声が掛かる。安くて、おいしければ、「ついつい」使う本数も増える。4本が5本になっただけでも、配れる軒数は800軒も減ってしまう。それが、私の言うところの効率だ。また、仮に、使ってもらえるのが独身女性で月に2本しか消費しなくとも、狭いエリアで高い配送効率さえ得られていれば、特段の非効率は生じない。

価格を安くすることで、高効率が得られる仕組みがご理解いただけないだろうか?

私の言うことが理解していただけないのは、「安売り競争」を招くことへの惧れだと思う。しかし、もっと大局を見てほしい。日常的に必須のものを購入するのに、進んで高額のモノの方を選ぶ人は居ない。嗜好品なら別だ。あるいはステータスを示すモノなら別だ。しかし、エネルギーや「水」に関しては違う。何故って?「水」もエネルギーもなくなれば、その都度買い足さなければならないからだ。日常的に必須のモノは、購入頻度が高い。誰だって2軒のガソリンスタンドが並んで居れば、安い方で給油をする。一流メーカーの2ℓペットボトル入りの天然水が、スーパーで128円〜190円以下で売られている。配達回収をするのだから、それよりも安くしろとは言わない。だが、本来的な競争力を持っているガロンボトル入りの天然水が、ライバルの価格に対して「尻尾を巻いたまま」では、ガロンボトルビジネスは「マイナー」な定位置からは抜け出せるはずがない。せいぜい、総需要の1割をみんなして分け合うしかない。

本来の競争力を活かそうとしない者は、一般社会では「企業努力」が足りないと一蹴される。何度も何度も言うが、地域を絞り込み、工場の稼働率を100%引き出す戦略にでれば、大企業が繰り出す価格の先へ行くことができる。本来的な競争力という点では、ガロンボトルビジネスは「ピカイチ」の存在なのだ。
しかし、やっている側に「その意識がまったくない」。だが、売れなけれ話にならないことだけは誰でも分かる。だから、代理店が効率や採算性を度外視した営業に打って出る。その姿は供給過多の不要品を懸命になって売歩こうとする他業種と何ら変わることがない。

得体の知れない水道水が各家庭に引かれている。誰も、その蛇口から直接水を飲むことをしない。なぜ?飲まないか?それは当の消費者も知らないが、雰囲気的に「飲まない方が良い」とされている。(もしも、本当の理由の一端を知りたいなら、ブログに掲載した「神谷レポート」11年8月29日)を読んでほしい。また、「日本の水道水の病理」も読んでほしい。)
仮に、水道水に発がん性物質が含まれているとしよう。人々はミネラルウォーターに殺到する。水道水を頼れなくなると、1軒当たり、どれほどの飲料水が必要になるか?それを2ℓのペットボトルで賄おうとすれば、どれほどの容器ゴミがでるか?それは想像を絶する。新たな公害問題も生じるだろうし、放出される二酸化炭素の量も尋常では済まなくなる。もしも、水道水に発がん性物質が含まれているならば、お金持ちでなくとも、飲料水は天然水にしたい。そうなると、そもそもペットボトルで供給しきれる量ではない。地域全体の供給を賄える「天然水道局」の存在が必要となる。

25年前、この事業を始めるにあたってアメリカに行った。そこで、例えばロサンゼルスでは8割の人がガロンボトルの「水」を使っていると聞かされた。その時は、その数字を漠然と「凄い」と思っただけだが、「神谷レポート」を読んで事の次第が分かり始めた。アメリカは、水道本管に塗った防錆剤が劣化して剥がれ落ち、水道の支管に詰まり始めている事実を掴み、その発がん性物質を含む水道水を人々が飲まぬよう未然に手を打ったに違いないと確信した。行政が自らの失態を、うまく覆い隠そうとした。飲用の水を民間に委ねることで、人々が発がん性物質入りの水を飲まない様に誘導したということなのだろう。そうでなければ、8割の人がいきなり宅配水を飲み始めるなど「あり得ない」。

仮に、この推論通りだとして、日本はどうするつもりなのだろうか?情報公開をしない日本の行政は、ひた隠しを続ける。そして、インフラをやり直す財力はもうない。つまり、政府は無策を続ける。だから、私の言う「天然水道局」が無数にできていくことしか、事態の解決策はない。その「天然水道局」がどこよりも安く、口に含む飲用水を提供しなければならないことは至極当然なことだ。

上記のことを、時間を反転させて考えていただきたい。「この値段なら使ってみたい」という金額を示し、天然水の供給を始める。それは、限られたエリアの限られた人々にしか供給はできない。飲用水をすべて「天然水」に頼るというなら、多分1世帯あたり、月8本の3ガロンが最低でも必要となる。工場の月生産量を16,000本とするならば、2,000世帯の供給しかできない。だからこそ、これは競争ではなく、多くの製造者の協同がなくてはできない事業なのだ。

ちょうど、群馬県の支流から流れ出たホルムアルデヒドが群馬/埼玉/千葉の浄水場で処理し切れず、基準値を超えてしまい、取水制限がかけられた。そのために、千葉で断水が実施されたニュースが報じられた。今の浄水場の浄水方法では、放射能も除けなければ、ホルムアルデヒドも除けない。同様に、農薬もその他の物質も除けない。浄水場でできることは、自分たちが決めた基準値以下にそれぞれの有害物質を収めて、それを浄水場から送り出すことだけだ。ホルムアルデヒドに関しても、取水再開後ぎりぎり基準値をクリアーしたものが水道本管に流されたに違いない。そして、ホルムアルデヒド単品では基準値をクリアーできただろうが、他の有害物質も基準値の2分の1や3分の1は含まれているだろうことを、私たちは知らねばならない。そして、そのトータルを飲みつづけるとどういうことになるか?誰も知らない。

そして、水道局は浄水場を出た後の水道水には、まったく関与しない姿勢を取り続けている。日本の軟水は配管を溶かし込む。塩素も配管の劣化を進める。アメリカ発の防錆剤は、日本の水道本管にも一斉に塗られた。水道行政に関わった「心ある人たち」は、小島貞男先生のように警鐘を鳴らすしかない立場に追い込まれる。自分たちの改善案が黙殺され、それでも声を上げ続けなければならないとすれば、いつしか現場を離れる選択を取る他はない。

近代化による犠牲で、自然破壊は進んだ。それが、生命に直結する「水」を汚し、回り回ってそれを飲む羽目になっている人間が居る。これが、「文化度」を口にする人間のすることか?この思いから私は、自らの「水事業」を開始した。それは今でも変わらない。だが、相変わらずその思いが伝わらないもどかしさも変わっていない。

(完)



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