もう一つの道
龍馬が生きていた当時と違うのは、「死の商人」たちが150年の時を経て、彼等の本懐をほぼ手中に収めているという点でしょうか?私たちが龍馬のような切迫感・緊迫感を感じられないのは、そのせいなのでしょうか?
世界を経済の視点からしか見ようとしないでいると、全体を見誤ってしまいます。例えば、世界を見る視点を少しだけ政治的にしてみましょう。すると、欧米列強による世界支配という構造が浮かび上がってきます。それは、なにも150年前に突如始まったわけではありません。列強による植民地支配には歴史があり、その流れは「大航海時代」以来500年以上一度も止まったことはなく、連綿と続いているのです。
新植民地主義の武器は「マネー」です。この便利な武器は、いくらでも大量生産がききます。その上、その「マネー」で「後進国」が持つ「資源」をいくらでも欲しいだけ手に入れることができます。元は、ただの紙切れなのに・・・。この手品を可能としたのが、「金融」であり、それを握っているのが「死の商人」たちですから、彼等の力たるや隠然たるものがあります。とは言え、歴史的にみれば、その本願は欧米列強にとっての悲願であり、「死の商人」たちは、いつの時代もその先兵を務めてきたに過ぎないのです。
-2010.08.10掲載文(つづく)
世界を経済の視点からしか見ようとしないでいると、全体を見誤ってしまいます。例えば、世界を見る視点を少しだけ政治的にしてみましょう。すると、欧米列強による世界支配という構造が浮かび上がってきます。それは、なにも150年前に突如始まったわけではありません。列強による植民地支配には歴史があり、その流れは「大航海時代」以来500年以上一度も止まったことはなく、連綿と続いているのです。
新植民地主義の武器は「マネー」です。この便利な武器は、いくらでも大量生産がききます。その上、その「マネー」で「後進国」が持つ「資源」をいくらでも欲しいだけ手に入れることができます。元は、ただの紙切れなのに・・・。この手品を可能としたのが、「金融」であり、それを握っているのが「死の商人」たちですから、彼等の力たるや隠然たるものがあります。とは言え、歴史的にみれば、その本願は欧米列強にとっての悲願であり、「死の商人」たちは、いつの時代もその先兵を務めてきたに過ぎないのです。
-2010.08.10掲載文(つづく)