エアの戦略が、機能して来ている。「ふるさと納税」での成功例を、「通販サイト」にフィードバックさせる。つまりは、「利用者のニーズに直接アクセスする」方法論を身に着け、応用する。それを自らで手がけることで、エアはスキルを磨き、誰にも真似の出来ない境地を手にしたと言って良い。
お金を掛けることが、「成功事例を引き出せる」わけではない!むしろ、掛けないことで宣伝広告のコストパフォーマンスの最大値を引き出す「術(すべ)」を会得する。
そのためには、お金をかける「潔さ」も必要だ。だが、それが「俗に言われるほど大金であれば、」コストパフォーマンスの最大値を引き出すことは適わない。あくまで、「お金を梃子として使い、お金の巡りを良くしていく」ことを通じてしか、この「術」は手に入らない。
資本主義社会は、お金でできている。だが、そのお金が増え過ぎて、却って価値が減じている。その世界では、たくさんのお金を投じても、その見返りは「金利」にも満たない。銀行がお金を貸しても、「金利」だけではその巨体を賄いきれないのだから、それは、「もう資本主義が体をなしていない」ことを如実に物語っているではないか!
小資本を梃子として使うことでしか、「ハイリターン」は適わない。これは、簡単な算数であると同時に、資本主義の原理でもある。
エアの戦略は、その原理に即しているが故に、明確な機能を始めるに至った。
私たちは、シンプルで、初期投資もランニングコストも安く済むプラントを有しています。オリジナルボトルもノウハウも有しています。そして、天然水道網の普及という理念を掲げ、競争力を有しながら、競争という土俵から外れたところで成り立つ事業を提案しています。
そして、「自分がやらないからこそ、成功事例がない」と考える人との出会いを、待っています。
個人商店がスーパーによって駆逐され、個々人の持つ発想力・創造性が失われました。個々の持つ多様な能力が、会社という組織に取って代わられたことで、人々は「自らの能力を引き出す」という「特命」を投げ出すこととなったのです。
目の前に広がる世界は、ご自分の「世界観」を反映したものであって、世界そのものではありません。もしも、目の前の世界が「絶望的な」ものなら、それはご自分の持つ世界観が「絶望的」だということです。
同様に、もしも、目の前の世界に「希望」があるなら、それはご自分の持つ世界観が「希望」を内包している証です。
すべての人に「水商売」を勧めるつもりは毛頭ありません。ただ、生まれてきたからには、大勢に惑わされることなく、「自らの能力のかぎりを尽くす」生き方をお勧めします。
(完)
「地産地消」の「天然水道」は、自らが道を切り開かねばなりません。ご自分が持つ関係性をフル稼働させる覚悟が、道を広げるために欠かせないのです。誰かの成功事例を待っていても、それが何かの足しになることはありません。
「同じようなもの」を扱うことに将来性はありません。とは言え、「固有なもの」を扱うことには決意だけでなく、それをやり抜く忍耐が必要です。決意も忍耐も「個」に帰することですが、それらを端折って「成功」だけが転がり込んでくることはないのです。
私たちの「牛乳屋さんプラン」は既にスタートしました。ただ、実際に動いてみれば、牛乳屋さんが長い間培ってきた営業手法もあれば、商習慣もあります。そこに、自分たちが「どう合わせていけるのか?」その一つ一つをクリアーできないと物事は先に進みません。このプランが軌道に乗るのは、早くとも1年後と考えてください。その間、牛乳屋さんが挫けないように、サポートを欠かすことはできません。そして、牛乳屋さんが販促として使える「サンプル」も潤沢に供給し続けなければなりません。極論すれば、そのサンプル数が牛乳屋さんの顧客獲得数に直結します。ご自分が始めなければ何も始まらない所以です。
(つづく)
それをいつ誰が始めるか?皆さんは固唾を飲んで、成功事例を待ち望んでいます。しかし、是非このように考えて下さい。
「自分が始めないからこそ、今まで成功事例がなかったのだ」と。
「成功事例の後に付いていこう」という考えが、代理店商法を成り立たせてきました。しかし、その代理店商法について行っても、保証されるものはもう何ひとつありません。まして、「水」に関しては、「成功事例」というもの自体が幻でした。
「水」には「絶対需要」というものがありながら、なぜガロンボトルのミネラルウォーターを売ることは斯くも難しいのでしょうか?私たちはあまりに「サーバー」に縛られ、自分たちで敷居を高くしてしまっていました。バブル崩壊後とは言え、まだ景気がよかった時にも通用しなかったビジネスが、こんな不況下でそのまま通用すると考えるならば、それこそ無理難題というものです。
「絶対需要」がありながら、商品が売れないのは、そこに「大いなる勘違い」があるからです。そして、その勘違いが理解でき、進むべき道が見えても「お先にどうぞ!」と尻込みしているようなら、状況が打開されることはありません。
(つづく)
上記は、アメリカでガロンボトルのミネラルウォーターが圧倒的な競争力を持つに至った経緯と重なります。アメリカには、市水としての水道水に代わる「天然水道」という発想が元々にありました。「口に入れる水くらい天然のものにしたい」その想いが発端です。
日本の小都市と言えども、価格次第では一つの水工場では賄いきれない天然水需要が既にあります。配達地域を限定すれば、自ら需給バランスを大きく崩す愚を犯すことはありません。「水」の価格のほとんどが運賃であり配送経費なのですから、一定の範囲で商いを続ける限り、お客様の密度は自然に高まっていきます。
このプランは、いずれ多くの支持をいただけるものとなります。ただ、メディアが「バナナ」と言えばバナナが、「納豆」と言えば納豆がスーパーから姿を消すほどの社会で、このプランがどれほどの時間で浸透していくのか?は正直なところ予測できません。それでも、時間を掛ければ、「最強のミネラルウォーター」が天然水需要を賄うようになっていくことは間違いないでしょう。
(つづく)