Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

「おいしい天然水の普及」


弊社は、30年近くの間、「おいしい天然水の普及」を掲げて、その実現に取り組んできた。そして、ようやくのことで、明快な糸口を掴むに至った。それは、皮肉にもヤマト運輸による宅急便運賃の値上げがきっかけとなった。ヤマトの値上げで、「水で儲けようとする商売」が、軒並み「儲けられる根拠(=カラクリ)」を失うこととなるからだ。

詳しくは述べないが、これで「おいしい天然水」を普及価格で販売しようと考えるところは、企業の大小を問わずに、「大型容器による水宅配業」でのアドバンテージを握ることとなる。ただ、それを実感するには「相応の時間」がかかるはずだ。今のところ、自分で未踏の地をかき分けて行く覚悟と実践力がない限り、「決して」実感が沸くことにはならないからだ。

その分を、私たちが先駆けとして実践して行く。それが「どうなるか?」は、今後1年もすれば「目に見えるものとできる」と考えている。


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私の確信


あまりにも「物が売れない世の中になった」お陰で、売る側は「消費者を抱え込む」ことばかりに夢中になってきた。だから、「抱え込むために大金をかけても、それは将来の肥やしとなって返ってくる」という妄想にかられて、サーバーをただで貸すようなビジネスモデルが生まれた。が、消費者もバカではない。そして、「抱え込まれる」ことには、頑なほどの「反感」が生じる。その「反感」が、「サーバー」「(8リットル等の)空ボトル」「キャップ」「8リットル詰め天然水」「クレードルバルブ」などを「単体で買う」という購入動機につながっている。それぞれを単体で買えるなら、消費者はそれぞれの事情に合わせて、頭を働かせ、必要なものを買う。

同様に、売る側も「この流れに乗りさえすれば」、単純な話「8リットル詰め天然水」を製造することだけを考えれば良いこととなる。サーバーやボトルを買い揃えることとか?お客様を抱え込むこととか?カネや時間や労力ばかりかかることから解放される。「美味しい天然水」を安く手に入れて「食生活にも使いたい」と考えている人は、既に大勢居る。だから、その人たちに「見つけ出していただける」ような商品を作ることに精を出せばよい。

ネットを通して、人々のニーズに向き合うと、「今何が求められているのか?」が手に取るように伝わってくる。大型容器宅配業者の創造性の無さや考えの浅さが、逆に賢い消費者を育成して来たと言っても過言ではない。ヤマトの宅配料の値上げ(=適正化)を期に、ネットに限らず、「商売」も「経済」も大きく様変わりすることとなる。振り子の動きが、「まとも」で「単純」この上ない「商売」や「経済」の方向へと戻る。そう言い放つだけの「手応え」を、私は得ている。その確信を、もっと回りの人たちにも納得してもらえるものとして掲げて行きたい!と考えている。

(完)



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「箱島湧水8リットルペットボトル2本入り」新発売!


5月の始めには売り出そうと考えていた「箱島湧水8リットルペットボトル2本入り」の発売を、来週中にも始める。

こちらは、所謂「ネット通販向け商品になる」と考えている。2リットルペットボトル以下の容量のミネラルウォーターをケースで買うことは、今までもできた。しかし、サーバー対応の水は、高価すぎて手を出していただけなかった。あるいは、安く見えてもそれはサーバーの「ヒモ付き」で、うっかり買ってしまうと続けて買わざるを得なくなるような代物だった。そこで、今年はペットボトル用の「小さな」サーバーがネット上で良く売れている。また、弊社からサーバーとボトルを買い求め、水は自分たちで調達する人たちも急増している。

しかし、そのどちらも「然るべき姿」とは言い難い。そこで、「箱島湧水8リットルペットボトル」の登場は、「あるべき姿」を消費者にイメージしていただける商品になると考えている。送料を含めても、「ヒモ付き」でない天然水としては「最安」なので、今や全国に300万台以上は存在するであろうサーバーに乗せてお使いいただくことができる。また、弊社別売の「クレードル&バルブ」に乗せてお使いいただくこともできる。

とは言え、私が考える最終形は、この商品を近在の「お土産屋さん」とか「道の駅」とか「酒屋さん」等に置いてもらい、利用者に送料なしで買い求めていただくことだ。それが浸透していけば、「水の良い地」で製造をする水屋さんは、生計を立てることができるようになる。ネットに頼らずとも、地域に根ざした商売だけでも「飯が食べていける」ようになる。「重たい水」を誰かに運んでもらいたいなら、「応分の」価格を払う他はない。しかし、マイカー観光客や道の駅で農産物を買い求める消費者に、ご自分たちで運んでいただけるなら、「地産地消価格」でお買い求めいただける。

天然水が体に良いことは、言を俟たない。だが、その認識は「すっかり薄れ」、今や「飲んで見ていただけないと分かっていただけない」。だが、「飲んでみていただくほどに商品は出回っていない」というのが現実だ。それを、まずはネットを通して、お手軽に味見をしていただく。そして、それを「きっかけ」にして、「水の良い地」の天然水製造会社の8リットルペットボトル詰め商品が「道の駅」に並ぶようにして行く。農産物同様、「鮮度」が違う。「価格」も違う。利用者が自分で買い求めたものを運ぶことで、生産者・販売者・消費者の「三方得」の世界が初めて広がるようになる。とは言え、これが実は「昔からある」商売の「あるべき姿」だ。消費者は決して神様などではない。消費者もまた「三方得」を支える一員であることに目覚めないと、「経済が円滑に回って行くことはない」。

世界に冠たる「天然水の宝庫」で、「アトピーや癌を誘発する恐れのある水道水」を飲む必要などない!もっと「文化的」に「人間らしく」生きる方法がある。その方法の一端を、「箱島湧水8リットル2本入り」の発売を通して、より多くの方々にお示ししたいと考えている。
あまりにも多くの時間を費やしたが、ようやく未来につながる「形」を世に出すことに漕ぎ着けた。

(完)



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商売の秘訣


商売がうまく行くかどうかは、担い手が「需要と供給の関係を把握する」度合いによって決まると言って良い。が、それ以前に、需要側と供給側の数的バランスが問題となることは言うまでもない。

簡単に言えば、買う人に対し、売る人の比率が高ければ、1人が売れる平均的な数量は低い水準に留まる。だが、それは、あくまで平均数量であり、実際のところはたくさん売る人も居れば、ほとんど売れない人も居る。一昔前までは、小規模なお店が集まる商店街が日本中にあった。当時は、一軒一軒にお得意様が居て、それぞれのお店の需要と供給の関係は、「ピッタリと合っていた」。そのため、店主にとって「需要と供給の関係を把握する」ことに難しさはなかった。

だが、「好景気」が徐々に、その需要と供給の関係を崩して行くこととなった。景気が良いと人々は消費に走る。無駄遣いを平気でするようになる。所謂、「あぶく銭」と言われるものが生じ、それを皆が使い回すようになる。そうなると、人々の中には、その「あぶく銭」を「投資」や「ギャンブル」に振り向け効率よく増やそうと考える者が現れる。ただ、漫然と消費(需要)側に居るのではなく、供給側に回ろうとする者が現れる。「売れば、何でも買ってもらえる」時代には、供給側に居るに限ると多くの人が考え始め、それが当初はことごとく「当たった」。お陰で、需要と供給の関係は、完全に「ブラックボックス」入りすることとなった。

それに「輪をかけた」のが、スーパーの存在だった。単に供給側にシフトするのではなく、もっと「効率よく」儲けるために、小規模なお店の集まる商店街に代わって、郊外にスーパーが進出を始めた。当初は、進出企業と旧来の商店主たちの間で、「紳士協定」のようなものが結ばれたが、スーパーの進出はとどまることを知らなかった。商店街が「シャッター街」に変わり果てる必然は、その時点で決まったと言っても過言ではない。

その後に生まれた、スーパー同士の競合は、需要と供給の関係を決定的に崩し去った。圧倒的な「物量を背景に安さを競う」商売は、デフレ経済を呼び込む。その意味で、私達の社会は「必然の産物」であることを、肝に銘じておく必要がある。

近年のインターネット通販は、デフレ経済をより決定的なものにする。そこには、1億8千万点に及ぶ商品(在庫)数を誇る巨大モールが存在し、無数の供給者がひしめいている。その中には、昔の小規模な商店主から、スーパーに該当するような大規模店に至るまでが「ごった煮」状態で同居している。供給側が多すぎて、1軒当たりの売れる量は知れている。それを、無理矢理宣伝広告を掛けて売れる量を増やしても、「安くでなければ売れない」のだから、商売としては成り立ちようがない。デフレ経済下で、「抜きん出る」ためには、負債を背負い込むリスクと常に背中合わせとなる。それは「タイトロープ(=細い細い綱を命がけで渡る綱渡り)」そのものだ。多くの人が、その綱を踏み外し、谷底へと身を投じている。最早、ネット通販バブルが弾ける日も、そう遠くはない。既に、ネット通販を支えてきた広告関連業者は、「まとめサイト」のようにお手つきをした挙句、閉鎖に追い込まれる事態に追い込まれている。

基本的に、「需要と供給の関係」を把握しなければ、商売はうまく行かない。供給側が需要側を大きく上回っている限り、その数的バランスを整える以外に、供給側が生き残りを果たせる道理はない。
それを、「あぶく銭」を増やすことで切り抜けて行こうとするアベノミクスは、日本の経済を決定的な局面に導くことになるだろう。「カジノを合法化することを成長戦略の一環にする」という発想などは、既に、常軌を逸している。
デフレ下で経済を成長させることはできない。それは確かだが、デフレ経済を必然化させてきたのは、「インフレ」「好景気」だった以上、仮にそこに戻れても問題が解消する訳でないことは明らかだ。一旦、「デフレでも、インフレでもないニュートラルな経済、つまりは再生可能で持続性のある経済に立ち返る」必要があるのだ!

「需要と供給の関係」を把握せずに、「あぶく銭」を作り出し、それを「投資」や「ギャンブル」に振り向けさせようと考える政府のもとで、私たちは暮らしている。これは、「不幸」なことだ。が、「飼い慣らされた」私たちには、その「不幸」すら見えていない。

私は、人々に「儲ける」ことよりも、「生計を立てる」ことに商売の意義を見いだしてほしいと願う。末永く、孫子の代まで「安心して暮らす」。そのための「生計を立てる」舞台として、商売を考える。なぜなら、それが、商売の原型だからだ。昔から、「御用商人」という者たちが居た。権力に抱えられた商人たちを指す。いつの時代でも様々な利権にありつき、効率よく稼ぐ商人は居た。だが、一般の商人が「そんな夢を描いても、得るものはない」。「生計を立てる」ことに徹することこそが、独自の到達点に辿り着く確実無比な「道」だ。

たとえば、「需要と供給の関係」で言えば、圧倒的に供給量の少ない「天然水」を地道に広げていくことを商売とする。私は「これに勝る商売はない」と考え、もう30年以上も、取り組んでいるが、普及は一向に進まない。だが、この間「生計は、間違いなく立ててきた」。そして、今後も生計が立っていく自信は揺るがない。この難しい時代に、孫子の代まで「安心して暮らす」ことができると確信できるのは、皮肉なことに「普及が一向に進まない」からだ。だが、需要に対して供給量が少ないからこそ、いつまで経っても競争のない商売を営むことができる。(そして、そこが「平常点」であるかぎり、今後予想される様々な事由に拠る、「公共水道の供給減」に際しては、無類の対応ができることになるのは言うまでもない。)

これが、私の考える「商売の秘訣」だ。「生計を立てる」中で、独自性を磨く。年月が積み重なっていくと、その独自性は、「知恵」や「知識」となって、一つの「境地」を生み出すに至る。それを、私は「人生の得難い楽しみ」と感じられる年となった。

(完)


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人生100歳時代の心がまえ


ついでに言うが、少子化というのは、「自然の摂理による抑制作用」だという側面を見落としてはいけない。自然界では、種の数が無闇やたらに増えていくことはない。「餌」の量によって、制限が加わるからだ。人類だけが、資本主義の台頭と期を同じくして、200年以上前から突如人口を膨張させてきた。それは、資本主義が人口膨張策を取ってきたからに他ならない。が、その意図的且つ不自然な人口増にも、自然の摂理による抑制は働く。自然界の摂理から遠く離れた人間たちでも、予知能力は「ゼロ」となってしまったわけではない。人々は、このまま膨張が続くと、「どういう未来が訪れるか?」を察知して、子供を産まなくなってきた。その流れは、誰かの意図や指図ではなく、自然発生的なものだ。そこに「対策」を講じることしか考えない政府や政治家の「無策・無能」に、これ以上付き合ってはいけない!

私たちに今必要なことは、社会的動物という特性に立ち返り、日本人が積み上げてきた昔日の「豊かさ」を取り戻すことだ。そのためには、まず日本の歴史に学ぶ。私たちの「豊かさ」は、再生可能な天然資源である「豊富な」天然水を元に組み上げられて来た。「水と大地と人力」を元に、私たちは「知恵」を育んできた。その「知恵」は、日本固有のものだ。それを「途切れさせず、継承して行く」。
気が付いてほしいことは、「生涯現役で働く」ことは、「決して新しい発想ではない」と言うことだ。もう私たちの多くは忘れてしまっているが、少し前の日本では、すべての人が「生涯現役で働いていた」。だから、「知恵」の継承は少しのロスもなく、行なわれてきた。そして、「技術」の継承は言葉ではなく、先人の背中を見て学び取ってきた。だからこそ、その技術は「自分自身のものとなった」だけではなく、新たに「自分自身の創意工夫」を加わえることで、次へ次へと継承されてきたのだ。私たちが為すべきことは、そうした地道且つ確実な継承を実践できる「制度設計」を、政府や政治家に促すことだ。気が付いた人間だけが、「生涯現役で働く」ことを決意するのではなく、そうした生き方を制度として作り上げ、皆のものとしていく。

その必要性を、最後に、高山先生の言葉に付け加えておきたい。

(完)


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