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Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

コロナウイルスの発生源


第1話

(コロナ)ウイルスは、細胞を持たず自己増殖ができない。そのため、わたしたち人間の科学では「生命」という範疇には入らない。では、そもそもウイルスとは何なのか?

(*私の仮説はあくまで仮説だ。が、なぜ?こんな仮説を億面もなく掲げたか?と言えば、医療関係者を含めた科学者が「ウイルスの定義」すらしないでいる現実に唖然としたからだ。だから、医療関係者や科学者を挑発し、まともに「ウイルスと面と向かってほしい」という思いを込めた。仮説とは、それが成り立たないと証明しない限り、仮説としてはあり続ける。だから、こんな非科学的なと一笑に付すのではなく、科学的な定義をする手段として私の仮説に反駁をしてほしい。そして、一日も早く「そもそもウイルスとは何なのか?」を白日の下晒して欲しい!)

ずばり私の仮説を述べる。ウイルスは生物ではない。では、ウイルスの発生源は何かと言えば、PM2.5と総称されるものだ。その中には人工物であるプラスチックが風化してマイクロチップ化したものも含まれる。ウイルスそれ自体は毒素を帯びたものではない。が、その「大きさ」と「数」と「成り立ち」が問題だ。細菌よりも小さく、大気中に多く含まれ、植物や動物の体内にも入り込み、地球上のありとあらゆる所に散在している。細胞よりも細菌よりも小さいために、機会さえ整えば、「生命」の細胞内に入り込み、増殖する。PM2.5の特徴は、「燃焼によって発生するもの」ということだが、「燃焼」は生物が溜め込んだエネルギーがその素となる。つまり、PM2.5の大半は組成上、元生物だ。だから、遺伝子を有しており、それが生きた細胞に入り込むことで、細胞が備え持つ複製機能を使い自分たちの増殖を果たす。

人間の経済活動・消費生活の高まりによって、大気の汚染はノンストップで進行している。火山の噴煙といった自然由来のものを圧倒して、人間が撒き散らすPM2.5は、地域によって青空すら消し去るほどに拡大生産されている。それが、冬季の乾燥した大気に乗って活発な移動をする。また、鳥インフルエンザのように、鳥たちが越冬のために大陸を渡り、世界中に拡散される。それは、多くの鳥たちを死に至らしめる。恐らくは、鳥の呼吸器系に寄生し、増殖し、肺機能を侵す。同様に、地上の動物たちの肺機能も侵すが、生命内で増殖を重ねたものが他の個体へ乗り移ることで感染のスピードを上げる。その地上の動物たちの中に人間が含まれることは言うまでもない。

だが、改めて言うが、ウイルスは生物ではない。だから、ウイルスは意図を持って自分たちの数を増やそうとしているわけでもなく、ましてそのために人間の体内に潜り込もうとしているわけでもない。単に、人間が切りもなく「経済的繁栄」を求め、化石燃料を燃やし続け、それが恒常的に生物の体内に作用をもたらすに至っている。それだけの話だ。
地球上の哺乳類という括りで見た場合、人間だけが異様な勢いで数を増やし、結果ウイルスが感染し易い環境を作るに至っている。大気汚染の著しい都会の人混みの中で、感染をした肺から発散されたウイルスが、肩が触れそうな距離にいる人々に乗り移る。換気のない室内で、ライブ音楽に熱狂的に酔いしれる人たちにも乗り移る。そして、感染に怯える人々が検査を受けるために集まった病院内で、収容し切れず廊下にうつ伏せになっている人などから、医療関係者にも感染が拡がる。つまり、武漢に始まり、クルーズ船でも見られた「コロナウイルスの純粋培養」が、世界の大都市の、中でも病院内で行われ、急速に拡大されている。

「ウイルスとの戦い」という言葉が、テレビ等で叫ばれ始めたが、私たちは「この戦いの本当の相手が、誰であるか?」それを滑稽なほどに理解していない。だからこそ、見えない敵を恐れる人間たちが、戦う相手を見誤り、感染を拡げる役割を果たしている。生物ではない(コロナ)ウイルスが、生物のように振る舞う。それは、ウイルスの発生源を突き止めようとせず、その発生源が人間の経済活動によって撒き散らされている「燃料(=石油)等」の燃えカスや粉塵であることを「不都合な真実」として封殺しているからこそ繰り返される。この点が、見事に隠されているため、「ウイルスとの戦い」は珍妙さだけが浮き上がってしまう。「ウイルスとの戦い」と言いながら、「経済活動を阻害してはならない」とも言う。これは、仮に私が唱えるように「PM2.5が発生源」であった場合、「地球温暖化要因は、人間の経済活動とは無縁」とするグローバル経済の推進役である欧米のリーダーたちには「絶対に認めてはなられない真実」となってしまうということだ。

毎年決まって季節性インフルエンザに罹って亡くなる人は、世界中で20〜50万人と後を絶たない。それは、人間がインフルエンザに手をこまねいて、なんら有効な手を講じて来なかったからだ。季節性インフルエンザのウイルスは人間の作り出した環境に強い。それに比して新型コロナウイルスはインフルエンザウイルスほど強靭ではない。だから、上気道でとどまっている限りは増殖するチャンスはほぼない。肺にさえ侵入させなければ、体内に入っても胃酸が葬る。その代り、運良く肺に入ることができた新型コロナウイルスは、ゆっくりと気兼ねなく自らを増殖させることができる。そのため、潜伏期間は長く、肺の中の細胞に取り憑き増殖を重ねた時は、いきなり肺の機能を麻痺させてしまう。が、肺まで辿り着けなかったものは、症状を顕すこともなく胃酸によって駆逐される。季節性インフルエンザのウイルスはもう少し、口腔内に留まる力を経験的に持ち、口腔内や上気道で細胞に取り憑き、増殖ができる。そのため、感染者は咳や痰などを通して、手当たり次第、周りの人を直接的に感染させていく。

上記が、季節性インフルエンザウイルスと新型コロナウイルスのちがいだ。つまり、口腔内で増殖する術を得たウイルスは感染力が強く、その生い立ち故に、年間1,000万人の感染者を出すが、合併症(誤嚥性肺炎・持病)などを通して、1万人くらいの死者を生む。対して、口腔内で増殖できない新型コロナウイルスは、運良く上気道の防御網を潜り抜け肺に達したものだけが、増殖する機会に恵まれる。だが、それらの人を一緒くたに集め、換気の悪い部屋に閉じ込めない限りは、感染リスクを高めることはない。だから、日本では死者は増えない。患者を一箇所に集めなければ、患者さんの肺の機能不全は、その人だけで留まり、増殖したウイルスも人体同様「孤独死」を迎える。が、自然換気のない病室で懸命の治療に励む医師は、患者の肺で純粋培養された大量のウイルスを吸い込んで、自らの命を縮めることとなる。いわゆる院内感染だ。一度人間の肺内で増殖したウイルスは、元はと言えば肺内部の細胞だ。だから、それを吸い込んだ人の肺を一途に目指す。あるいは、その増殖したウイルスの量、故なのかもしれないが、イタリアで亡くなった医療関係者は、新型コロナウイルスで死亡した人の1割にも及んでいる。

数字は嘘をつかない。私たちの科学は、自然科学を元にしている。だから、科学的に客観的に数字を凝視すれば、その道の権威でなくとも、真実を射抜くことはできる。だが、私たち人間は、その自然科学の元となった自然を大いに変貌させてきてしまった。生き物でないウイルスを生き物のように振る舞わせ、それを恐れるに至っているのは、自然破壊を何とも思わず、経済至上主義を貫くことを何より優先させてきた私たち人類だ!それを私たちが思い知ることなしに、この「ウイルスとの戦い」は終わらない。

ワクチンなどあろうがなかろうが、肺に入ってしまったウイルスだけに対処する十分な人工呼吸器と病床さえ整えていれば恐れるほどの感染症ではない。だが、今回の新型コロナウイルスで分かったことだが、日本が、世界で一番病床数が多いと言う。こんな体制で「感染症」を語ろうとする世界各国の政治や医療のオーソリティーたちが「どうにかしている」としか思えぬ。つまり、季節性インフルエンザにきちんとした対処さえしてきたなら、そもそも毎年のように20〜50万を死なせることなどなかった。だが、それを漫然と放置しておきながら、今回の新型コロナウイルスにだけ戦いを挑もうとしている「不可思議さ」は、どう語ろうが晴れることはない。

イタリアでは人工呼吸器が足らず、重症の高齢者は見捨てられ、重症のより若い層の患者に用いられているという。これは「医療崩壊」とは言えぬ。「医療」が力足らずを理由に命の選別をしてしまっている。これは人類が未知なものに手をこまねいた末、因果応報に慄き、ただ呆然と立ち尽くしているからこそ起こっている現実だ。これを「地獄絵」と言わず、なんと評せばよいのか!季節性インフルエンザと言うか?感染症には、「人工呼吸器と陽性の患者さんをきちんと一人一人を隔離できる病床さえ確保していれば、どうにか対処ができる」そう実感しているイタリアやスペインやアメリカの医療関係者は、相当数にのぼっているに違いない。

オーバーシュートという言葉が、一人歩きしている。が、冷静に今起こっている実例を、良く見定めてほしい。「感染者を集めて、自然換気のない部屋に集団隔離をして、ウイルスの純粋培養している」場以外では、オーバーシュートは起こっていない!同じヨーロッパでもドイツでは起こっていない。また、世界180ヵ国に感染は広がっているのに、どうして、限られて国だけで大量の死者が排出されているのか?なぜ?そうしたことに医療関係者の目は行かないのか?皆が、何か間違った観点に囚われ、盲目的な消耗戦を挑んでしまっている。

この「地獄絵」の続きは、これからアメリカを震撼させることとなるだろう。アメリカは先進国の中でも、平均寿命が一番低い。病床数もイタリアより少ない。アメリカは、今日(3月25日)現在で、感染者数も中国・イタリアに次いで3位となっている。それにも拘らず、トランプは「経済活動の停止は国を壊す」「復活祭(4月12日)までに再開したい」と言って憚らない。この男には、物事の「因果関係」というものがまるで見えない。「因果関係」が見えないために、「神をも畏れない」。それが、彼の人気を支えていると言えば、それまでだが、その発した言葉が彼自身の地位を断罪することとなる。「最も愚かな大統領」として、歴史に記されるようになるだろう。だが、それは、彼の存在を許した私たち自身の愚かさにも通じている。トランプはヒトラーと同じく、虚勢を声高に叫ぶ。人類の過ちを体現し、その過ちを極限まで推し進めようとする。マネー(=経済)で、頬を叩けば言うことを聞かない人間など一人もいないことを、トランプは知っている。これが、「大衆迎合主義=ポピュリズム」というものの正体だ。大衆に迎合するのではなく、大衆を迎合させる術をトランプは知り、それを臆面もなく実践している。

ウイルスの発生源は純粋な意味での「自然」ではない! 人間に限らず、生物は進化の過程で環境適応力を磨いてきたが、今や人間は自分たちの経済至上主義が作り出した人工物で自然環境を見事なまでに塗り変えた。が、その人間が変えたしまった環境への適応力を迫られている。つまり、この因果は、人類の欲望が生み出し、自らの「生命」を脅かすまでに至っている。同じことが、「地球温暖化」でも起こっているが、その脅威は、「まだまだ先の問題」として、世界の指導者たちによって脇に押しやられて来た。だからこそ、「直ちに行動を起こさねば、生死に関わる」という「応報」を「自然=神」が用意した。その啓示に人々が気づけば、人類は「平和」という名の「調和」を手に入れることができる。が、「神が与えた試練」というキリスト教の教えの根本に立ち返れなければ、人類の滅亡は避けられないほどの「因果」を、私たちは既に積み重ねて来てしまっている。

仏教でも良い。「全ての源」と呼ばれた「水の神=エア」でも良い。自然科学でも良い。人は自らの「奢り」を常に戒めて行く「理念」を持たなければ、否応もなく「滅び行く存在」だということだ。今の私たちは、自然の調和を乱す者として、「自業自得」から決して抜け出すことはできない存在だ。経済至上主義を纏った人類の欲望は、巨大化を続ける。この期に及んでも、「経済しか頭にない」ならば、私たちは「自然」の仕置きを甘んじて受ける他ないことを、改めて記しておきたい!
コロナウイルスとの戦いが、「経済至上主義を纏った人類の欲望との戦い」と自覚されることを切に望む。


(つづく)

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新型コロナウイルスでわかったこと−2


8.そうした「過去の対応の稚拙さ」が、結果的に今回の新型コロナウイルスの感染力を高めてしまったのではないか?と私は考える。つまり、真正の感染者とたまたま「熱があった人」や「体調の悪い人」たちを集め、「換気が悪く、飛沫感染が拡がり易い環境の中に一緒くたに放り込み、濃厚接触を可能とさせてしまった」。また、その環境下でスーパースプレッダーを養成した上で、航空機や大型クルーズ船を使って、保菌者を世界の隅々にまで送り込んでしまった。

9.だが、それだけのことをしても、まだまだ季節性インフルエンザと感染者も死亡者も比べようもないほどの小数だ。感染のピークはまだまだと言う人も居るだろうが、世界中が挙って「外出禁止令や自宅待機要請」を出すに至っているので、沈静化は間違いなく進むだろう。世界の指導者が「自分の保身のため」とは言え、一斉に「経済の停滞を顧みず」に「コロナウイルスとの戦い」に口を揃えた。ただ、彼らの見せた大仰なパフォーマンスの如何とは別に、SARSやMERSの例をみる限り、人々が異様なほどの恐れを抱かずに、間違った培養実験さえ犯さなければ、事は(それなりの数の感染者と死亡者は出るが)自然収束をする。

10.私たちが本当に成さなければならないことは、季節性インフルエンザの解明に尽きる。何度も言うが、毎年20万〜50万人の人を死に至らしめているものを放置しておいて、なぜ?「新型コロナウイルスのみを恐れるのか?」この摩訶不思議を放置するだけの「不都合な真実」を白日に晒すことができないなら、私たちの文明は「空回り」から逃れられない。

11.いきなり「論理の飛躍」と言われるだろうが、人間は「経済活動に資する」として、多くの「毒」を拡大再生産してきた。それは、対立する相手を抹殺するための文字通りの「毒」だけではなく、抗菌剤もまた一つの「毒」だ。農薬も然りだ。また、便利さを求めた末に大量生産され、大量廃棄を繰り返してきたプラスチックも、海を汚し、マイクロチップとなって大気を汚し、私たちはそれらを呼吸することによって、「肺」へ日常的なダメージを加えている。コロナウイルスが、風邪や季節性インフルエンザを通し、肺炎を併発させて重症化させることと、私たち作り出してきた「毒」やそれを撒き散らす異様なほどの「消費社会」とは無縁ではない!

12.地球温暖化も同様に、私たちが盲目的に繰り広げてきた「経済活動の賜物」だ。が、そう指摘する声に対しても、世論は「そうは言っても、だからといって経済活動を停滞させる訳には行かない」と言って憚らない。私は、「だからこそ、この新型コロナウイルス騒動は起こった」と言っておく。口を開けば、人は「経済こそは全て」と言う。地球温暖化が進み、この地球や自然が猛り狂って風水害が強大なものとなっても、そのことが自分たちの子や孫を窮地に追いやることが分かっていても、「今の経済がバブリーに成長してくれれば良い」と思っている人の数は減らない。

13.だからこそ、将来の話ではなく、今の今、人々が恐れおののき、熱病の如く狂喜乱舞する人々に自制を迫る事象が訪れた。世界は、滑稽なほど「自粛ムード」に包まれ、「経済の停滞があったとしても、このウイルスとの戦いに勝利しなければならない」と、グローバル経済の推進に余念のない世界のリーダーたちに言わしめた。滅亡に向かってまっしぐらに進むことを鼓舞し続けて来た政治家に、それが一瞬であれ、あるいはパフォーマンスであれ、「立ち止まらせた」事実を私は心底より評価したい。

14.この機会を無にすることなく、人々がもっと「健全に」「正しく」「賢く」「楽しく」生きていくために、自然への畏敬の念を取り戻し、「謙虚に生きる」ことを学ぶ機会としてくれることを切に望む。

15.そのためにも、世界中の株価が大暴落し、「経済活動がお金を代償としなくとも、必要不可欠な営みである」ことを世界中の人々が知る機会としたい。人間は、経済の拡大に固執することで、自らを制御する心を失っている。消費社会を賛美する傍らで、膨大なゴミを生み出し、それらを遺棄し続けている。人工物は焼却しなければ、姿を消さない。が、焼却しても大気中に漂い続ける。同様に焼却しなければ、マイクロチップとなって拡散し続けながらも、地球上や海や魚貝の体内や大気圏にとどまり続ける。それらが、地球温暖化要因を作るだけでなく、人体の最も気体に対し敏感な器官である肺に対し、作用を強め始めた。日本で肺炎(誤嚥性肺炎を踏む)に罹って亡くなる人の数は、平成30年で133,121人に達している。その死因順位は、がん・心疾患に次ぐ3位(平成30年人口動態統計より)だ。

16.人類は、自らの力で、既に生態系そのものや地球環境までをも変えてしまっている。それが人類を滅亡に導きかねないことも「薄々感じ始めている」。そして、今回の「新型コロナウイルス」を通して、「これは、将来の話ではなく自分自身の今に降りかかる差し迫った災いだ」と認知されることとなった。自らの「生死」を通して、社会を見直す。その時、人は初めて「曇りなき目で自分や社会を見つめることができる」。それが、「これは自業自得であり、因果応報ではないか?」という思いを人々に芽生えさせている。各々が、不要なまでに急速な勢いで拡大される「消費社会」の弊害に目を向け、そのことが地球環境や人類を含めた地球上の生命に如何なる危害を加えているか?冷静な目で見てほしい。それができれば、私たち人類にはまだまだ「まっとうに」やり直すチャンスはある!

(つづく)
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新型コロナウイルスに関してわかったこと−1


季節性インフルエンザによる推定死亡者数は、世界で20万〜50万人、日本では約1万人とされている。日本に於ける2019年の累計患者数は1,000万人を上回っている。また、2018年の日本のインフルエンザによる死亡者数は、3,325人という数字もある。この人数は医師が死因をインフルエンザと認めた人のみであり、インフルエンザで入院した人でも肺炎を併発したり持病が悪化し心不全などその他の病気で亡くなったりした場合は含まれない。(その人たちも含めると、最初に記した1万人という数字となる。)
それに対し、新型コロナウイルスによる死亡者数は世界で5,300人程度、日本ではクルーズ船を含めて28人、クルーズ船を除くと27人となっている。(3月14日現在)もう一つ興味深い数字を上げると、世界的に感染の広がったSARSとMARSの感染は、日本では起こっていないという事実(記録)がある。

上記の事実から、私は「なぜ?新型コロナウイルスが、これほど世界中の人々を怖がらせているのか?」が解らない。

1.新型コロナウイルスに感染した人の内、8割は軽症で(自覚)症状すらない人もいる。つまり、人によってはただの風邪よりも脅威は低い。季節性インフルエンザほどの高熱に晒されることもない。しかし、それが肺を犯すことになると、一気に重症化するとされている。が、それは何も新型コロナウイルスに限らず、季節性インフルエンザであっても、風邪であっても肺炎を併発すれば、軽症では済まない。肺は気体しか通さない仕組みを持っている。だから異物の侵入を押し返す機能を授かっている臓器であり、それだけの防御網を備えている。そこを突破されれば、軽症では済まないのは「道理」だ。だが、既に人工呼吸器を使った症状緩和や喘息薬オルベスコの投与など、いくつかの対処療法が取られるようになってきている。

2.確かに、まだ抗新型コロナウイルスワクチンや特効薬はできてはいない。だが、季節性インフルエンザにはワクチンができているにもかかわらず、それでも日本だけで年間1千万の人が感染し、1万人ほどが死んでいる。私が不可思議に思うのは、誰もそれを「人類の脅威とは捉えていない」ということだ。世界中で毎年20〜50万人がインフルエンザで亡くなっている。その事実を、受け入れ、日常茶飯事の出来事として見過ごしている。「なぜ、それをパンデミックとは呼ばないで、WHOは新型コロナウイルスをパンデミックと呼ぶに至っているのか?」その謎には誰も答えないし、そもそもそうした疑問を投げかける人も、今のところはいない。

3.新型コロナウイルスの死亡者は高齢者が中心だ。人口構成に於ける高齢者の割合が、(特に日本の場合は)大きなものになっている。だが、繰り返しになるが、季節性インフルエンザで死亡するのも高齢者が中心だ。ならば、現有のワクチンはどれほどの効力を発揮しているのか?を、まず吟味してみる必要性があるのではないか?季節性のインフルエンザには、「ワクチンや特効薬が既にある」ことから、「パンデミック扱いは不要」という論理は通用しないことは上述(2.)を見れば、明らかだろう?私に言わせれば、この抗インフルエンザワクチン及び薬剤(特効薬と称されている)に対しての有効性評価にこそ問題がある。現代医学が、「儲かる医薬品製造をする巨大な製薬会社」の意のままに動き、「現有のワクチンや薬剤」に対し、非科学的且つ過大な評価を賦与している。そうした「薬剤信仰」が、実際には「医師の減少を招き」、感染症を通じての医療崩壊を曝け出すに至っている。私の指摘したいのはその点だ。それこそが、私たちの社会が抱える「不都合な真実」そのものだからだ。

4.寿命は伸びたが、人は死ぬ。永遠の命などない。私たちの医学は、「殺菌」という概念を中心に発展を遂げてきた。「不老不死」を夢見た人々は、いつしか「金品に代えがたい命を永らえるためにご祈祷や薬」に大枚を叩くこととなった。現代は、医師が医療の中心に居るのではない。ビジネスとして巨万の富を集める強大な製薬会社が医療だけでなく、政治から経済に至るまでの全権を掌握してしまっている。だから、「現有のワクチンや薬剤への評価」は、そもそも客観性など持ち合わせていない。と言うよりも、私はその評価は科学的根拠に基づくものではなく、「でっち上げに近いものだ!」と述べておきたい。

5.そうした「現有のワクチンや薬剤への評価」との「辻褄合わせができない」事態が新型コロナウイルスの登場で表面化した。現代医学は、前述したように「菌との戦い」という概念を中心に発展を遂げてきた。「菌を殺すことで排除する」、それが薬剤と呼ばれているものの役割だ。だが、ウイルスは細胞を持たず、自己増殖もできない。そのため、私たちの概念にある「生物」とは呼べない存在だ。
「抗生物質は、細胞の構造や機能に作用するため、それらを持つ細菌には効果的だが、それらを持たないウイルスには有効ではない。また、ワクチンは弱毒化・無毒化したウイルスを事前に投与し、自己免疫を高めることで感染リスクを下げるものだ。ウイルスは構造が単純で、特有の特徴が少なく、細胞の中に潜り込んでしまうため、細胞に影響を与えずウイルスだけに効果を示すような抗ウイルス薬の開発は難しい。」(日本食品分析センターニュース2010.Augより)
「抗ウイルス薬の開発は難しい」と言うよりは、「今の医学はウイルスに対して的確なアプローチができていない」と言った方が正しいと私は考えている。

6.人間と細菌は、地球上の同じ生命という点で「紛れもなく」共存をしてきた。私たちの健康一つとっても、腸内細菌が多大な役割を担っている。が、そのことを人間が正しく理解し始めたのも、ごく最近のことだ。その分だけ、私たちは多くの考え違いや間違った考えを常識としてきた。そして、それはまだまだ是正されたわけではないし、同じような「いきさつ」から、私たちの「意識」や「ものを見る目」については、根本的な過ちが多く含まれている。その最たるものが、「共存しているものを、根絶やしにして排除しようという考え」だ。

7.「世界的に感染の広がったSARSとMARSの感染は、日本では起こっていないという事実(記録)がある。」と書いたが、調べて見ると、( NIID 国立感染症研究所)⚫SARS-CoV 2002年に中国広東省で発生し、2002年11月から2003年7月の間に30を超える国や地域に拡大した。2003年12月時点のWHOの報告によると、疑い例を含むSARS患者は8,069人、そのうち775人が重症の肺炎で死亡した(致命率 9.6%)⚫MERS-CoV
最初のMERS-CoVの感染による患者は、2012年にサウジアラビアで発見された。これまで27ヶ国で2,494人の感染者がWHOへ報告され(2019年11月30日時点)、そのうち858人が死亡した(致命率34.4%)
上記の通りだった。「世界保健機構」と呼ばれる機関が、上記のような調査しかしていない。こんな調査であれば、日本での感染者は「ゼロ」とされたことも頷ける。結局、日本では検査すら行わなかったということなのだろう。また致命率の高さも、症状が出た人だけを感染者と特定したために、「分母」を小さくカウントしただけに過ぎないと考えられる。いずれにせよ、上記の数値は、論じるまでもなく、すべてが科学的な根拠とはかけ離れたものと考えるべきと思われる。

(つづく)


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宣伝とプロパガンダ


宣伝広告というのは、面白い。「そこには、お金をかけないとならない」という思い込みをしている人が、大勢居る。彼らは「露出さえすれば、勝ちだ」と思い込んでいる。だが、本当は「そうではない!」商売にかぎって言えば、コストパフォーマンスを無視した宣伝広告は、危険この上ない。インフレで黙っていても商品が売れて行くご時世なら、いくら広告費にお金をかけても「元は取れる」。が、デフレでモノが動かない時期にまで、同じようにカネをかければ、商売は容易く「傾く」。一方、「ただ(無料)で露出を稼ぐ術を知っている者」にとっては、「露出さえすれば、勝ちだ」という言葉は「真理」を突いている。
今をときめく「トランプ」は、ビジネスに於いて「そのワザ」を磨いてきた。そして、「派手な暴言」や「テレビ番組の司会者や時にプロレスラーになってまで稼いできた露出」を駆使し、彼はアメリカの大統領にまで登り詰めてしまった。この現実は、私たちの「頭の構造の幼稚さ」を示して余りある。

以下にヒトラーの代表的な名言を記す。トランプが、如何に忠実にヒトラーを模しているかが分かるだろう。そして、トランプがメディアを敵に回すのも、ツイッターや大統領令を連発するのも、彼の確信犯的な「戦略」に基いていることが理解できるだろう。

●嘘を大声で、充分に時間を費やして語れば、人はそれを信じるようになる

●民衆がものを考えないということは、支配者にとって実に幸運なことだ

●熱狂した大衆だけが操縦可能である

●賢い勝利者は、可能な限り、自分の要求を幾度も分割して敗北者に課すだろう

●人種の堕落の時代において、自国の最善の人種的要素の保護に専心した国家は、いつしか地上の支配者となるに違いない

恐ろしいほどの「思い込み」が、ヒトラーの言葉には込められている。だが、その言葉を大声で繰り返すことで、「人はそれを信じる」に至った。これは仮説ではなく、「歴史が証明してしまった真実」だ。私たちは、その「デジャヴ」を「テレビ」を通じた実況中継で、否応もなく見せつけられている。このグローバルに展開される「宣伝=プロパガンダ」は、一体いつまで続くのか?そして、「人類の叡智」は、このトランプによるヒトラーの「二番煎じ」に対し、どういう「意志を表明し得るのか?」それを、私たちは「目の当たりにする」こととなる。



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資本主義と民主主義


<おまけ>

皆さんは、ハリウッド映画が映し出す「近未来」を見たことがあるだろう?その「近未来」が共通に映し出しているものこそ、矛盾を抱え込んだ「資本主義」が私たちにもたらす(近)未来だ。だが、その「矛盾」を解消不能なものにしてしまった理由には、私たちが「大いに」関わっている。習慣性の動物である私たちは、それぞれの持つ「弱さ」と決別することができない。辻褄が合わないことを承知していても、「浪費」を基本とする経済に逃げ込んでしまう。そこが、「ヌクヌク」と心地よく感じられるからだ。それぞれの持つ弱さに「NO!」と言えない「積み重ね」が目の前の「現在」を作り上げている。私たちは、その「弱さ」の陰に隠れながら、自らの「権利」だけは主張する輩に成り果てている。

だから、今のままで行けば、間違いなく映画が映し出す「近未来」は現実のものとなる。廃墟のようなところで、薄汚れた人々が「ヒソヒソ」と生きている。それは、自らの「弱さ」を「権利」と取り違えた人々が生きるに相応しい場だ。人類がこの星の盟主となれたのは、その生命力の「強さ」ゆえのことだ。もうすっかり姿を見かけなくなりつつあるが、私たちは農業を支えてきた年寄りの頑強さを確と見直すべきだ。一昔前まで、私たちの住む社会はその「強さ」に満ちていた。だが、今は「どうだ?」体を使うことを「厭う」人ばかりだ。それが、人間社会全体をどれほど「脆弱」なものとしてしまっているか?

私の言いたい事は、「政治的」なことではない。政治などマヤカシに過ぎないのだから、「糞喰らえ!」だ。
私は、あくまで、人間がその持って生まれた「力」を「正当」に、「余すところなく」使うべきだということを述べているにすぎない。産業革命のお陰で、人類は利便性と共に人口の膨張を手にした。その膨れ上がった人々が本来持つ「力」を「正当」に「余すところなく」使って「食糧生産」に励まなければ、深刻な「食糧危機」に直面してしまうのは、誰がどう考えても必然だろう。だが、食糧生産の代わりに、世界中が「食べられない」工業製品の拡大生産競争を繰り広げている。その様は異様と言う他ないが、世界中が「売れない」工業製品を無我夢中になって作り続けている。そして、そのために、化石燃料を掘り起こしては「無駄」にしかならない製造に供している。その幾重にも及ぶ「無駄」から逃れられなくなっているのが、今の「資本主義」の姿だ。

だが、それを指摘すると、多くの人が「民主主義」にではなく「資本主義」に逃げ込もうとする。人々は、一心不乱に沈み行く巨船に乗り込もうと先を争う。そして、人々はその「滑稽さ」と「皮肉」に気付くことができないでいる。

問題は、「イデオロギー」の違いにあるわけではない。人々が「弱さ」をひけらかし、「弱さ」を「カネ」で補えると考えるに至っていることにある。食糧生産を二の次と考えてしまえる社会で、人間が本来の「強さ」を保持できる「道理」はない。その根本を度外視してしまうほど、私たちは「間違った」道に足を踏み入れてしまっているのだ。

映画が映し出す「近未来」には、根拠がある。「肌で感じる」抜き差しならぬ「現実」がそこには映し出されている。だから、それぞれの人が「強さ」を投げ出したままでいれば、その「近未来」はすぐにでも「やって来る」。映画の中の「近未来」は、一度訪れると「どうやって元に復することができるか?」という困難さに満ち満ちている。私たちが「ヌクヌク」に甘んじているかぎり、孫子が被る苦難は計り知れない。この世は、すべて「必然」が支配している。苦難がなければ、人は「強さ」を取り戻すことはできない。だから、孫子に「苦難」と「強さ」をプレゼントしようという考えも成り立たないわけではない。だが、そういう意図がないならば、それぞれの持つ「力」を民主主義に吹き込むことが、民主主義教育を受けて来た私たちにとっては一番組みし易い方法ではないか?そういう主旨で、「資本主義と民主主義」を書いた。だが、書き終えたことで、それぞれの持つ「弱さ」は集積することで「強大な強さ」を持つに至っていることを改めて実感している。

それ故に、私たちはハリウッド映画の映し出す「近未来」に行き着くしかない。「資本主義」が抱える矛盾が、「人々の弱さ」を醸成し顕著にさせた。あるいは、「人々の弱さ」が逆に「資本主義」を支えられなくなったと評した方が良いのか?いずれにせよ、根本的な問題を抱え込み老朽化した巨船は、人々の重さに耐えかねて沈む。

私たちは、「新しい」「時代に見合った」価値観を創造できる「強さ」を身につけるしかない。

(完)


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