自分の人生は、本来誰にとっても「固有」のものだ。人は持って生まれたものや環境に千差万別があり、その違いをもとに学習をし、自らを形成していく。3歳の頃に両親が離婚した私にとって、「自由に生きる」という思いは「特に肩肘張って貫いてきた」ものではない。ごく自然に身についた生き方で、以来70歳になった今でも他の人や社会的な思惑を気にかけることなく「思うがまま」に生きている。
子供にとって親は、良くも悪くも「自由を束縛する」存在だ。親が子供に伝えたいと思うものの第一は、自分が得てきた「人生訓」だからだ。この世を「思うままに生きている」人の数は極めて少ない。それは、社会的な動物である人間の世界では「群れ」が生き抜くために様々な掟や不文律が存在し、それを社会が「教育」と称して人々に叩き込んで来たからだ。そして、ほとんどの親たちもまた、そうした社会から「我が子が落ちこぼれないように」という一心で、自らが得た「人生訓」を営々と子供たちに説いて聞かせる。だが、私は幸いにそうした「訓示」を社会からも親からも受けることなく大人となった。
この「人生訓」は、端的に言えば「功利心」によって裏打ちされた処世術に過ぎない。だが、この「処世術」が今の世の中の様に「常識」という衣を纏うと、私たちの多くを「自縛して離さないもの」となる。それは支配する側が、長い長い時間を掛けその仕掛を「巧妙且つ政治的に利用して来た」からに他ならない。
人類は誕生以来、艱難辛苦の末に「種」の数を増やしてきた。特に身体的に並外れた能力を授かっていたわけではない人類が生き残って来られたのは、直立歩行によって獲得した「頭脳」の為せる技だ。人類は「言葉と道具」を生み出し、それを不断に発展させて来た。狩猟から農耕へ。この転換こそは、人類に飛躍をもたらしたが、そこから生じ始めた「余剰」とその分配方法が長い歳月を掛け人々の「従属心」を揺るぎないものとさせてきた。
動物は「餌の量以上に種の数を増やすことはできない」。これは人類以外の動物には例外なく当てはまる「自然の摂理」だ。だが、農耕を始めた人類は、その「自然の摂理」から自らを「解き放ち」、独立独歩の道を歩みを始める。しかし、それは自然(=神)を崇める存在であった人間が、自ら「神を名乗り始める」契機ともなった。地球上の随所に、神を名乗る王が登場し、民を農耕に従事させ、そこから得られる「余剰」を「独り占め」し始めたのだ。以来3000年、こうした自称「生き神」たちが、地球(領土)の私物化を堅持強化しつつ民を支配し続けて来た。
(つづく)
世界中で、「我慢しきれずに、経済活動を再開させた国」から順に、コロナウイルスの感染が急拡大している。だが、各国とも雇用維持や弱ってしまった企業を助成することに「大枚」を投じてしまったため、もうこれ以上は「お金」の絞り出し様がない。かと言って、より勢いを増しているコロナの勢いを止めるには、欧米で言えば「再ロックダウン」しか方策はないだろう。
世界中の国々が借金をして、人々に「贅沢」の心地よさを覚えさせてきた。「ものを大切にする」心は、消費社会にはそぐわない。だから、使い捨て文化を人々に奨励し、古くなったものは捨てさせ、新しいものを買わせる。そうした消費社会を創り上げてきた。今目の前にある世界は、その「賜物」だ。だから、容易に修正が効かない。1ヶ月や2ヶ月の「ロックダウン」やら「自粛」で「お茶を濁す」ことなどできない。本当の意味で、「人々が自分たちの過ちに気が付かないかぎり」、「感染症対策と経済の両立」など果たせる訳がない。感染症対策に「待ったはない!」ならば、「身分不相応な」経済を元の真っ当なものに戻すしか方策はない!
だが、「贅沢経済」で人気取りをしてきた政治家に、今の「バブル経済」を改める発想はできない。だから、私たちは「本当に困難な」時代を迎えることとなる。アメリカが感染者数でも死亡者数でも突出している。それは、このコロナウイルスと唯一の超大国が牽引するグローバル経済が、切っても切れない関係性を持っているからに他ならない。
だから、日本がいくら「自粛」をしても、アメリカが悔い改めなければどうにもならない!だが、アメリカが悔い改めることなど「想像できるか?」だからこそ、私は日本は「内需の拡大を柱」とする「固有の経済を確立しなければならない」と考える。また、そうしたことを事ある毎述べてきた。それは何もコロナ対策だけのためではない。今朝のニュースで見る様に、東北で最上川が氾濫している。地球温暖化で、毎年の様に風水害が強大化し繰り返されている。それすら、私たちはいつまで経っても「呆然」と見ているだけだ。だが、これほど「恒例」となってしまっている風水害には、「本来」ならちゃんとした「備え」をすべきだが、「もうそんなことを優先する」という頭を働かせる「お金」すらない!
政府が人々に「贅沢」をさせることに躍起になってきた「ツケ」のお陰で、社会資本にかける「お金は底をついている」。その「お金」をひねり出すためには、「グローバル経済」から抜け出し、本当に「身になる自立した経済」を起動させなければ確保ができない。それが「現実」だ。「恵まれた資源である天然水を有効利用する」というのは、そうした自立した経済の元となる考えであることを、改めて述べておきたい!
(完)
第1話
(コロナ)ウイルスは、細胞を持たず自己増殖ができない。そのため、わたしたち人間の科学では「生命」という範疇には入らない。では、そもそもウイルスとは何なのか?
(*私の仮説はあくまで仮説だ。が、なぜ?こんな仮説を億面もなく掲げたか?と言えば、医療関係者を含めた科学者が「ウイルスの定義」すらしないでいる現実に唖然としたからだ。だから、医療関係者や科学者を挑発し、まともに「ウイルスと面と向かってほしい」という思いを込めた。仮説とは、それが成り立たないと証明しない限り、仮説としてはあり続ける。だから、こんな非科学的なと一笑に付すのではなく、科学的な定義をする手段として私の仮説に反駁をしてほしい。そして、一日も早く「そもそもウイルスとは何なのか?」を白日の下晒して欲しい!)
ずばり私の仮説を述べる。ウイルスは生物ではない。では、ウイルスの発生源は何かと言えば、PM2.5と総称されるものだ。その中には人工物であるプラスチックが風化してマイクロチップ化したものも含まれる。ウイルスそれ自体は毒素を帯びたものではない。が、その「大きさ」と「数」と「成り立ち」が問題だ。細菌よりも小さく、大気中に多く含まれ、植物や動物の体内にも入り込み、地球上のありとあらゆる所に散在している。細胞よりも細菌よりも小さいために、機会さえ整えば、「生命」の細胞内に入り込み、増殖する。PM2.5の特徴は、「燃焼によって発生するもの」ということだが、「燃焼」は生物が溜め込んだエネルギーがその素となる。つまり、PM2.5の大半は組成上、元生物だ。だから、遺伝子を有しており、それが生きた細胞に入り込むことで、細胞が備え持つ複製機能を使い自分たちの増殖を果たす。
人間の経済活動・消費生活の高まりによって、大気の汚染はノンストップで進行している。火山の噴煙といった自然由来のものを圧倒して、人間が撒き散らすPM2.5は、地域によって青空すら消し去るほどに拡大生産されている。それが、冬季の乾燥した大気に乗って活発な移動をする。また、鳥インフルエンザのように、鳥たちが越冬のために大陸を渡り、世界中に拡散される。それは、多くの鳥たちを死に至らしめる。恐らくは、鳥の呼吸器系に寄生し、増殖し、肺機能を侵す。同様に、地上の動物たちの肺機能も侵すが、生命内で増殖を重ねたものが他の個体へ乗り移ることで感染のスピードを上げる。その地上の動物たちの中に人間が含まれることは言うまでもない。
だが、改めて言うが、ウイルスは生物ではない。だから、ウイルスは意図を持って自分たちの数を増やそうとしているわけでもなく、ましてそのために人間の体内に潜り込もうとしているわけでもない。単に、人間が切りもなく「経済的繁栄」を求め、化石燃料を燃やし続け、それが恒常的に生物の体内に作用をもたらすに至っている。それだけの話だ。
地球上の哺乳類という括りで見た場合、人間だけが異様な勢いで数を増やし、結果ウイルスが感染し易い環境を作るに至っている。大気汚染の著しい都会の人混みの中で、感染をした肺から発散されたウイルスが、肩が触れそうな距離にいる人々に乗り移る。換気のない室内で、ライブ音楽に熱狂的に酔いしれる人たちにも乗り移る。そして、感染に怯える人々が検査を受けるために集まった病院内で、収容し切れず廊下にうつ伏せになっている人などから、医療関係者にも感染が拡がる。つまり、武漢に始まり、クルーズ船でも見られた「コロナウイルスの純粋培養」が、世界の大都市の、中でも病院内で行われ、急速に拡大されている。
「ウイルスとの戦い」という言葉が、テレビ等で叫ばれ始めたが、私たちは「この戦いの本当の相手が、誰であるか?」それを滑稽なほどに理解していない。だからこそ、見えない敵を恐れる人間たちが、戦う相手を見誤り、感染を拡げる役割を果たしている。生物ではない(コロナ)ウイルスが、生物のように振る舞う。それは、ウイルスの発生源を突き止めようとせず、その発生源が人間の経済活動によって撒き散らされている「燃料(=石油)等」の燃えカスや粉塵であることを「不都合な真実」として封殺しているからこそ繰り返される。この点が、見事に隠されているため、「ウイルスとの戦い」は珍妙さだけが浮き上がってしまう。「ウイルスとの戦い」と言いながら、「経済活動を阻害してはならない」とも言う。これは、仮に私が唱えるように「PM2.5が発生源」であった場合、「地球温暖化要因は、人間の経済活動とは無縁」とするグローバル経済の推進役である欧米のリーダーたちには「絶対に認めてはなられない真実」となってしまうということだ。
毎年決まって季節性インフルエンザに罹って亡くなる人は、世界中で20〜50万人と後を絶たない。それは、人間がインフルエンザに手をこまねいて、なんら有効な手を講じて来なかったからだ。季節性インフルエンザのウイルスは人間の作り出した環境に強い。それに比して新型コロナウイルスはインフルエンザウイルスほど強靭ではない。だから、上気道でとどまっている限りは増殖するチャンスはほぼない。肺にさえ侵入させなければ、体内に入っても胃酸が葬る。その代り、運良く肺に入ることができた新型コロナウイルスは、ゆっくりと気兼ねなく自らを増殖させることができる。そのため、潜伏期間は長く、肺の中の細胞に取り憑き増殖を重ねた時は、いきなり肺の機能を麻痺させてしまう。が、肺まで辿り着けなかったものは、症状を顕すこともなく胃酸によって駆逐される。季節性インフルエンザのウイルスはもう少し、口腔内に留まる力を経験的に持ち、口腔内や上気道で細胞に取り憑き、増殖ができる。そのため、感染者は咳や痰などを通して、手当たり次第、周りの人を直接的に感染させていく。
上記が、季節性インフルエンザウイルスと新型コロナウイルスのちがいだ。つまり、口腔内で増殖する術を得たウイルスは感染力が強く、その生い立ち故に、年間1,000万人の感染者を出すが、合併症(誤嚥性肺炎・持病)などを通して、1万人くらいの死者を生む。対して、口腔内で増殖できない新型コロナウイルスは、運良く上気道の防御網を潜り抜け肺に達したものだけが、増殖する機会に恵まれる。だが、それらの人を一緒くたに集め、換気の悪い部屋に閉じ込めない限りは、感染リスクを高めることはない。だから、日本では死者は増えない。患者を一箇所に集めなければ、患者さんの肺の機能不全は、その人だけで留まり、増殖したウイルスも人体同様「孤独死」を迎える。が、自然換気のない病室で懸命の治療に励む医師は、患者の肺で純粋培養された大量のウイルスを吸い込んで、自らの命を縮めることとなる。いわゆる院内感染だ。一度人間の肺内で増殖したウイルスは、元はと言えば肺内部の細胞だ。だから、それを吸い込んだ人の肺を一途に目指す。あるいは、その増殖したウイルスの量、故なのかもしれないが、イタリアで亡くなった医療関係者は、新型コロナウイルスで死亡した人の1割にも及んでいる。
数字は嘘をつかない。私たちの科学は、自然科学を元にしている。だから、科学的に客観的に数字を凝視すれば、その道の権威でなくとも、真実を射抜くことはできる。だが、私たち人間は、その自然科学の元となった自然を大いに変貌させてきてしまった。生き物でないウイルスを生き物のように振る舞わせ、それを恐れるに至っているのは、自然破壊を何とも思わず、経済至上主義を貫くことを何より優先させてきた私たち人類だ!それを私たちが思い知ることなしに、この「ウイルスとの戦い」は終わらない。
ワクチンなどあろうがなかろうが、肺に入ってしまったウイルスだけに対処する十分な人工呼吸器と病床さえ整えていれば恐れるほどの感染症ではない。だが、今回の新型コロナウイルスで分かったことだが、日本が、世界で一番病床数が多いと言う。こんな体制で「感染症」を語ろうとする世界各国の政治や医療のオーソリティーたちが「どうにかしている」としか思えぬ。つまり、季節性インフルエンザにきちんとした対処さえしてきたなら、そもそも毎年のように20〜50万を死なせることなどなかった。だが、それを漫然と放置しておきながら、今回の新型コロナウイルスにだけ戦いを挑もうとしている「不可思議さ」は、どう語ろうが晴れることはない。
イタリアでは人工呼吸器が足らず、重症の高齢者は見捨てられ、重症のより若い層の患者に用いられているという。これは「医療崩壊」とは言えぬ。「医療」が力足らずを理由に命の選別をしてしまっている。これは人類が未知なものに手をこまねいた末、因果応報に慄き、ただ呆然と立ち尽くしているからこそ起こっている現実だ。これを「地獄絵」と言わず、なんと評せばよいのか!季節性インフルエンザと言うか?感染症には、「人工呼吸器と陽性の患者さんをきちんと一人一人を隔離できる病床さえ確保していれば、どうにか対処ができる」そう実感しているイタリアやスペインやアメリカの医療関係者は、相当数にのぼっているに違いない。
オーバーシュートという言葉が、一人歩きしている。が、冷静に今起こっている実例を、良く見定めてほしい。「感染者を集めて、自然換気のない部屋に集団隔離をして、ウイルスの純粋培養している」場以外では、オーバーシュートは起こっていない!同じヨーロッパでもドイツでは起こっていない。また、世界180ヵ国に感染は広がっているのに、どうして、限られて国だけで大量の死者が排出されているのか?なぜ?そうしたことに医療関係者の目は行かないのか?皆が、何か間違った観点に囚われ、盲目的な消耗戦を挑んでしまっている。
この「地獄絵」の続きは、これからアメリカを震撼させることとなるだろう。アメリカは先進国の中でも、平均寿命が一番低い。病床数もイタリアより少ない。アメリカは、今日(3月25日)現在で、感染者数も中国・イタリアに次いで3位となっている。それにも拘らず、トランプは「経済活動の停止は国を壊す」「復活祭(4月12日)までに再開したい」と言って憚らない。この男には、物事の「因果関係」というものがまるで見えない。「因果関係」が見えないために、「神をも畏れない」。それが、彼の人気を支えていると言えば、それまでだが、その発した言葉が彼自身の地位を断罪することとなる。「最も愚かな大統領」として、歴史に記されるようになるだろう。だが、それは、彼の存在を許した私たち自身の愚かさにも通じている。トランプはヒトラーと同じく、虚勢を声高に叫ぶ。人類の過ちを体現し、その過ちを極限まで推し進めようとする。マネー(=経済)で、頬を叩けば言うことを聞かない人間など一人もいないことを、トランプは知っている。これが、「大衆迎合主義=ポピュリズム」というものの正体だ。大衆に迎合するのではなく、大衆を迎合させる術をトランプは知り、それを臆面もなく実践している。
ウイルスの発生源は純粋な意味での「自然」ではない! 人間に限らず、生物は進化の過程で環境適応力を磨いてきたが、今や人間は自分たちの経済至上主義が作り出した人工物で自然環境を見事なまでに塗り変えた。が、その人間が変えたしまった環境への適応力を迫られている。つまり、この因果は、人類の欲望が生み出し、自らの「生命」を脅かすまでに至っている。同じことが、「地球温暖化」でも起こっているが、その脅威は、「まだまだ先の問題」として、世界の指導者たちによって脇に押しやられて来た。だからこそ、「直ちに行動を起こさねば、生死に関わる」という「応報」を「自然=神」が用意した。その啓示に人々が気づけば、人類は「平和」という名の「調和」を手に入れることができる。が、「神が与えた試練」というキリスト教の教えの根本に立ち返れなければ、人類の滅亡は避けられないほどの「因果」を、私たちは既に積み重ねて来てしまっている。
仏教でも良い。「全ての源」と呼ばれた「水の神=エア」でも良い。自然科学でも良い。人は自らの「奢り」を常に戒めて行く「理念」を持たなければ、否応もなく「滅び行く存在」だということだ。今の私たちは、自然の調和を乱す者として、「自業自得」から決して抜け出すことはできない存在だ。経済至上主義を纏った人類の欲望は、巨大化を続ける。この期に及んでも、「経済しか頭にない」ならば、私たちは「自然」の仕置きを甘んじて受ける他ないことを、改めて記しておきたい!
コロナウイルスとの戦いが、「経済至上主義を纏った人類の欲望との戦い」と自覚されることを切に望む。
(つづく)
8.そうした「過去の対応の稚拙さ」が、結果的に今回の新型コロナウイルスの感染力を高めてしまったのではないか?と私は考える。つまり、真正の感染者とたまたま「熱があった人」や「体調の悪い人」たちを集め、「換気が悪く、飛沫感染が拡がり易い環境の中に一緒くたに放り込み、濃厚接触を可能とさせてしまった」。また、その環境下でスーパースプレッダーを養成した上で、航空機や大型クルーズ船を使って、保菌者を世界の隅々にまで送り込んでしまった。
9.だが、それだけのことをしても、まだまだ季節性インフルエンザと感染者も死亡者も比べようもないほどの小数だ。感染のピークはまだまだと言う人も居るだろうが、世界中が挙って「外出禁止令や自宅待機要請」を出すに至っているので、沈静化は間違いなく進むだろう。世界の指導者が「自分の保身のため」とは言え、一斉に「経済の停滞を顧みず」に「コロナウイルスとの戦い」に口を揃えた。ただ、彼らの見せた大仰なパフォーマンスの如何とは別に、SARSやMERSの例をみる限り、人々が異様なほどの恐れを抱かずに、間違った培養実験さえ犯さなければ、事は(それなりの数の感染者と死亡者は出るが)自然収束をする。
10.私たちが本当に成さなければならないことは、季節性インフルエンザの解明に尽きる。何度も言うが、毎年20万〜50万人の人を死に至らしめているものを放置しておいて、なぜ?「新型コロナウイルスのみを恐れるのか?」この摩訶不思議を放置するだけの「不都合な真実」を白日に晒すことができないなら、私たちの文明は「空回り」から逃れられない。
11.いきなり「論理の飛躍」と言われるだろうが、人間は「経済活動に資する」として、多くの「毒」を拡大再生産してきた。それは、対立する相手を抹殺するための文字通りの「毒」だけではなく、抗菌剤もまた一つの「毒」だ。農薬も然りだ。また、便利さを求めた末に大量生産され、大量廃棄を繰り返してきたプラスチックも、海を汚し、マイクロチップとなって大気を汚し、私たちはそれらを呼吸することによって、「肺」へ日常的なダメージを加えている。コロナウイルスが、風邪や季節性インフルエンザを通し、肺炎を併発させて重症化させることと、私たち作り出してきた「毒」やそれを撒き散らす異様なほどの「消費社会」とは無縁ではない!
12.地球温暖化も同様に、私たちが盲目的に繰り広げてきた「経済活動の賜物」だ。が、そう指摘する声に対しても、世論は「そうは言っても、だからといって経済活動を停滞させる訳には行かない」と言って憚らない。私は、「だからこそ、この新型コロナウイルス騒動は起こった」と言っておく。口を開けば、人は「経済こそは全て」と言う。地球温暖化が進み、この地球や自然が猛り狂って風水害が強大なものとなっても、そのことが自分たちの子や孫を窮地に追いやることが分かっていても、「今の経済がバブリーに成長してくれれば良い」と思っている人の数は減らない。
13.だからこそ、将来の話ではなく、今の今、人々が恐れおののき、熱病の如く狂喜乱舞する人々に自制を迫る事象が訪れた。世界は、滑稽なほど「自粛ムード」に包まれ、「経済の停滞があったとしても、このウイルスとの戦いに勝利しなければならない」と、グローバル経済の推進に余念のない世界のリーダーたちに言わしめた。滅亡に向かってまっしぐらに進むことを鼓舞し続けて来た政治家に、それが一瞬であれ、あるいはパフォーマンスであれ、「立ち止まらせた」事実を私は心底より評価したい。
14.この機会を無にすることなく、人々がもっと「健全に」「正しく」「賢く」「楽しく」生きていくために、自然への畏敬の念を取り戻し、「謙虚に生きる」ことを学ぶ機会としてくれることを切に望む。
15.そのためにも、世界中の株価が大暴落し、「経済活動がお金を代償としなくとも、必要不可欠な営みである」ことを世界中の人々が知る機会としたい。人間は、経済の拡大に固執することで、自らを制御する心を失っている。消費社会を賛美する傍らで、膨大なゴミを生み出し、それらを遺棄し続けている。人工物は焼却しなければ、姿を消さない。が、焼却しても大気中に漂い続ける。同様に焼却しなければ、マイクロチップとなって拡散し続けながらも、地球上や海や魚貝の体内や大気圏にとどまり続ける。それらが、地球温暖化要因を作るだけでなく、人体の最も気体に対し敏感な器官である肺に対し、作用を強め始めた。日本で肺炎(誤嚥性肺炎を踏む)に罹って亡くなる人の数は、平成30年で133,121人に達している。その死因順位は、がん・心疾患に次ぐ3位(平成30年人口動態統計より)だ。
16.人類は、自らの力で、既に生態系そのものや地球環境までをも変えてしまっている。それが人類を滅亡に導きかねないことも「薄々感じ始めている」。そして、今回の「新型コロナウイルス」を通して、「これは、将来の話ではなく自分自身の今に降りかかる差し迫った災いだ」と認知されることとなった。自らの「生死」を通して、社会を見直す。その時、人は初めて「曇りなき目で自分や社会を見つめることができる」。それが、「これは自業自得であり、因果応報ではないか?」という思いを人々に芽生えさせている。各々が、不要なまでに急速な勢いで拡大される「消費社会」の弊害に目を向け、そのことが地球環境や人類を含めた地球上の生命に如何なる危害を加えているか?冷静な目で見てほしい。それができれば、私たち人類にはまだまだ「まっとうに」やり直すチャンスはある!
(つづく)
季節性インフルエンザによる推定死亡者数は、世界で20万〜50万人、日本では約1万人とされている。日本に於ける2019年の累計患者数は1,000万人を上回っている。また、2018年の日本のインフルエンザによる死亡者数は、3,325人という数字もある。この人数は医師が死因をインフルエンザと認めた人のみであり、インフルエンザで入院した人でも肺炎を併発したり持病が悪化し心不全などその他の病気で亡くなったりした場合は含まれない。(その人たちも含めると、最初に記した1万人という数字となる。)
それに対し、新型コロナウイルスによる死亡者数は世界で5,300人程度、日本ではクルーズ船を含めて28人、クルーズ船を除くと27人となっている。(3月14日現在)もう一つ興味深い数字を上げると、世界的に感染の広がったSARSとMARSの感染は、日本では起こっていないという事実(記録)がある。
上記の事実から、私は「なぜ?新型コロナウイルスが、これほど世界中の人々を怖がらせているのか?」が解らない。
1.新型コロナウイルスに感染した人の内、8割は軽症で(自覚)症状すらない人もいる。つまり、人によってはただの風邪よりも脅威は低い。季節性インフルエンザほどの高熱に晒されることもない。しかし、それが肺を犯すことになると、一気に重症化するとされている。が、それは何も新型コロナウイルスに限らず、季節性インフルエンザであっても、風邪であっても肺炎を併発すれば、軽症では済まない。肺は気体しか通さない仕組みを持っている。だから異物の侵入を押し返す機能を授かっている臓器であり、それだけの防御網を備えている。そこを突破されれば、軽症では済まないのは「道理」だ。だが、既に人工呼吸器を使った症状緩和や喘息薬オルベスコの投与など、いくつかの対処療法が取られるようになってきている。
2.確かに、まだ抗新型コロナウイルスワクチンや特効薬はできてはいない。だが、季節性インフルエンザにはワクチンができているにもかかわらず、それでも日本だけで年間1千万の人が感染し、1万人ほどが死んでいる。私が不可思議に思うのは、誰もそれを「人類の脅威とは捉えていない」ということだ。世界中で毎年20〜50万人がインフルエンザで亡くなっている。その事実を、受け入れ、日常茶飯事の出来事として見過ごしている。「なぜ、それをパンデミックとは呼ばないで、WHOは新型コロナウイルスをパンデミックと呼ぶに至っているのか?」その謎には誰も答えないし、そもそもそうした疑問を投げかける人も、今のところはいない。
3.新型コロナウイルスの死亡者は高齢者が中心だ。人口構成に於ける高齢者の割合が、(特に日本の場合は)大きなものになっている。だが、繰り返しになるが、季節性インフルエンザで死亡するのも高齢者が中心だ。ならば、現有のワクチンはどれほどの効力を発揮しているのか?を、まず吟味してみる必要性があるのではないか?季節性のインフルエンザには、「ワクチンや特効薬が既にある」ことから、「パンデミック扱いは不要」という論理は通用しないことは上述(2.)を見れば、明らかだろう?私に言わせれば、この抗インフルエンザワクチン及び薬剤(特効薬と称されている)に対しての有効性評価にこそ問題がある。現代医学が、「儲かる医薬品製造をする巨大な製薬会社」の意のままに動き、「現有のワクチンや薬剤」に対し、非科学的且つ過大な評価を賦与している。そうした「薬剤信仰」が、実際には「医師の減少を招き」、感染症を通じての医療崩壊を曝け出すに至っている。私の指摘したいのはその点だ。それこそが、私たちの社会が抱える「不都合な真実」そのものだからだ。
4.寿命は伸びたが、人は死ぬ。永遠の命などない。私たちの医学は、「殺菌」という概念を中心に発展を遂げてきた。「不老不死」を夢見た人々は、いつしか「金品に代えがたい命を永らえるためにご祈祷や薬」に大枚を叩くこととなった。現代は、医師が医療の中心に居るのではない。ビジネスとして巨万の富を集める強大な製薬会社が医療だけでなく、政治から経済に至るまでの全権を掌握してしまっている。だから、「現有のワクチンや薬剤への評価」は、そもそも客観性など持ち合わせていない。と言うよりも、私はその評価は科学的根拠に基づくものではなく、「でっち上げに近いものだ!」と述べておきたい。
5.そうした「現有のワクチンや薬剤への評価」との「辻褄合わせができない」事態が新型コロナウイルスの登場で表面化した。現代医学は、前述したように「菌との戦い」という概念を中心に発展を遂げてきた。「菌を殺すことで排除する」、それが薬剤と呼ばれているものの役割だ。だが、ウイルスは細胞を持たず、自己増殖もできない。そのため、私たちの概念にある「生物」とは呼べない存在だ。
「抗生物質は、細胞の構造や機能に作用するため、それらを持つ細菌には効果的だが、それらを持たないウイルスには有効ではない。また、ワクチンは弱毒化・無毒化したウイルスを事前に投与し、自己免疫を高めることで感染リスクを下げるものだ。ウイルスは構造が単純で、特有の特徴が少なく、細胞の中に潜り込んでしまうため、細胞に影響を与えずウイルスだけに効果を示すような抗ウイルス薬の開発は難しい。」(日本食品分析センターニュース2010.Augより)
「抗ウイルス薬の開発は難しい」と言うよりは、「今の医学はウイルスに対して的確なアプローチができていない」と言った方が正しいと私は考えている。
6.人間と細菌は、地球上の同じ生命という点で「紛れもなく」共存をしてきた。私たちの健康一つとっても、腸内細菌が多大な役割を担っている。が、そのことを人間が正しく理解し始めたのも、ごく最近のことだ。その分だけ、私たちは多くの考え違いや間違った考えを常識としてきた。そして、それはまだまだ是正されたわけではないし、同じような「いきさつ」から、私たちの「意識」や「ものを見る目」については、根本的な過ちが多く含まれている。その最たるものが、「共存しているものを、根絶やしにして排除しようという考え」だ。
7.「世界的に感染の広がったSARSとMARSの感染は、日本では起こっていないという事実(記録)がある。」と書いたが、調べて見ると、( NIID 国立感染症研究所)⚫SARS-CoV 2002年に中国広東省で発生し、2002年11月から2003年7月の間に30を超える国や地域に拡大した。2003年12月時点のWHOの報告によると、疑い例を含むSARS患者は8,069人、そのうち775人が重症の肺炎で死亡した(致命率 9.6%)⚫MERS-CoV
最初のMERS-CoVの感染による患者は、2012年にサウジアラビアで発見された。これまで27ヶ国で2,494人の感染者がWHOへ報告され(2019年11月30日時点)、そのうち858人が死亡した(致命率34.4%)
上記の通りだった。「世界保健機構」と呼ばれる機関が、上記のような調査しかしていない。こんな調査であれば、日本での感染者は「ゼロ」とされたことも頷ける。結局、日本では検査すら行わなかったということなのだろう。また致命率の高さも、症状が出た人だけを感染者と特定したために、「分母」を小さくカウントしただけに過ぎないと考えられる。いずれにせよ、上記の数値は、論じるまでもなく、すべてが科学的な根拠とはかけ離れたものと考えるべきと思われる。
(つづく)