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Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

「こころざし」(志)を持つ


日本人は、「人柱」という言葉が好きだ。「世のため人のため」に自らの「命」を投げ出す。愛する家族や「心を寄せる」人のために、自ら進んで「人柱」になる決断を下す。それを「誉れ高き尊い」とする「生き方」だ。私達はそうした「生き方」を「武士道」とか「大和魂」と呼んで来たが、それは四方を海に囲まれた島国で長きに渡り「純粋培養」されて来た。日本固有の、日本人にしか通用しない「生き方」でもある。だが、経済偏重の世の中があまりに永く続き、人々は「こころざし」や「他己」という言葉をどこかに置き去りにして久しい。悲しいかな、わたしたちは過密な人の波の中で、自分自身を見失い、同時に拠って立つべき場所を喪失してしまっている。

かくなる上は、一度極端に「人口が減る」局面を迎えなければ、わたしたちは「真っ当」さを取り戻すことはできない。だが、そんな恐ろしい場面に、否応もなく遭遇するくらいなら、是非「ポツンと一軒家」を思い出してほしい。今の日本には、いくらでもそうした場所がある。まだまだ開墾せずとも、少し掘り起こすだけで作物が作れる場が無数に散在している。

(つづく)


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「こころざし」(志)を持つ


コロナなのか?地球温暖化による自然災害の猛威なのか?適切な判断ができない国々同士による戦争なのか?1960年に30億に達した世界人口は最早70億と倍以上に増えている。優柔不断で政府には盲目的に従う人々が共存共栄できる道などありようがない!

経済のためと称して、消費社会を成り立たせるためにひたすら膨張させてきた「人口バブル」が弾ける。それは、社会が最早増え過ぎた人口を賄い切れなくなったことで生じる必然だ。増えた人口を養うための「コスト」や「資源」がもう底をついている。それを「株高」という蜃気楼だけで「ごまかす」ことは、もうできない。
増えた人口の多くは、貧困層だ。貧富の差は衝撃的な程広がり、富は僅かばかりの者が握っている。圧倒的な数の貧困層から税を徴収して再配分しても、それで貧困層を救うことなどできない。それほど、マネーは偏在化してしまっている。単純な話、無用なほどにマネーを掻き集めてしまっている一握りの富裕層から、税を徴収し再配分を敢行できるような政府が現れなければ、この帳尻は合わない!

だから、本当は一握りの富裕層が、お金の使い方を承知して有効に使うだけの「理知」を働かせれば良いだけの話だ。と、私なら思う。が、物事そううまくは行かない。聖人君子などいない。お金の「本当の使い様」を心得ている人など皆無に等しい。大金を手にしても、使えずに貧しく過ごす人やつまらないことに使いスッテンテンになる人はいくらでもいるが..。そうして、最後には革命が起こり王様のように振る舞う不埒者は処刑されるというのが、オチだ。

(つづく)


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「こころざし」(志)を持つ


「革新力」とは何か?と言えば、閉塞感を打破するだけの「発想力」のことを指す。
人々の中に醸成される「こころざし(志)」の有無や強弱が、その「革新力」の源泉となるのだが、それがなかなか顕在化して来ない。

「ポツンと一軒家」というテレビ番組がある。代々に渡り開墾し広げて来た農地や、手を加えながら守り通してきた山林や、それらに依拠した営みを引き継ごうととする無名の人々にスポットライトを当てる番組だ。そこに映し出される人には、明快な「こころざし」がある。「一人でも」「自分が生きている限り」は、「ここを守り抜く」という意志だ。だから、登場する人が皆「堂々としている」。「迷いもなく」「晴れやかな顔をして」「自分の為すべきこと」を「淡々とこなす」。「気負い」はない。皆年配だが、「時間と競うような素振りはなく」「立ち居振る舞いが軽やか」だ。

(つづく)


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「こころざし」(志)を持つ


権力は、「税の徴収」を一手に握ることで政権を確固たるものとして掌握して行く。が、政権が安定することで「戦(いくさ)」や「対外的な戦争」が減り、人口が増える。そして、その人口増が、経済活動の規模や質に変革の必要性を内在させて行くこととなる。たとえば嘗ての日本では、「士農工商」という身分制度が形成されたが、その一番低い身分である「商」が「財」を握り、武士の持つ権威・権力を有名無実化させて行くこととなった。その時に活躍したのが、「幕末の志士」と呼ばれた「こころざし(志)」を持った各藩の下級武士だったことは、私達の学んだ小中高の歴史の教科書にも記されている。

歴史は繰り返される。明治に政権を掌握した権力も、経済という観点から対外的な地位の向上を目指して、欧米列強に対し戦争を仕掛け、敗れ、70年の平和な時期を通して急激に人口を増やすに至った。今の中国同様に「世界の工場」と呼ばれる役回りを拝し、敗戦国としてはドイツと並び称されるほどの復興と経済成長を果たした。が、内容的にドイツとは大きく違い、甚だバランスを欠いた経済振興策を取り続けた。ドイツとの違いで言えば、第二次世界大戦を遂行した勢力の一掃はおざなりとされ、旧勢力はしぶとく息を吹き返した。つまり日本は多くの屍を築いたにも関わらず、新たな「こころざし」を持つ者の登場を促すことができなかった。それが、今の日本の「革新力」の無さと閉塞感を生み出している。

(つづく)


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「こころざし」(志)を持つ


人は「自らの生をどう全うするか」を考えることができる。地球上の生物の中で、それができるのは人間だけだ。だが、それを行使しようと考える人の数は、極めて少ない。

何故か?と言えば、権力を持ちそれを維持したいと考える者達にとっては、それは「政権の転覆」に直結する「危険思想」そのものとなるからだ。今権力を掌握している者たちも、直近の大きな変革期に政権を奪取した一派の末裔だ。だから、その思想の「危険性」に関しては誰よりも知っている。その攻守の入れ替わりに関しては、「歴史書」を見れば事細かに記されている。そこには、権力を維持するために発せられた「ご法度」の数々や、それが巡り巡って人々の経済活動を不活性化させて行く様が書き綴られ、顕在化して行く「内部矛盾」もまた赤裸々に記されている。

(つづく)


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