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Water Diary

水を通して見える世界の話を、日記に綴ります

未来への投資


「資本主義」が原理化されると、隠れ蓑に使っていた「民主主義」は無視される。資本主義の原理化が進むと、「持続可能性」も無視される。それが、民を困窮に晒すことになるのは明白だが、人々には「それが分からない」。相変わらず、「声を上げない」。おそらく、「資本主義」は、持続可能性を抹殺するかのようにこのまま突き進むこととなろう。つまりは、世界の気温は1.5℃上昇し、人間は自分たちの無力を思い知らされることとなる。タガが外れた気温上昇は、今では想像もつかないほど強大な風水害を繰り返し、海沿いにある「大都市」を破壊し尽くして行くはずだ。

「資本主義」を終わらせるのは、私達ではなく、母なる地球だ。それも10年という短い期間まで示されている。「神」は「調和」を求める。人は、その「調和」を乱してしまう「力」を得てしまった。が、そうした「力」を誇示したがる者がすべてではない!だから、そうした「ちから」を崇拝する者たちが多く集まる「大都市」がその立地故に、まず壊滅的大打撃を受けることとなる。人類は大河の流域に寄り添うように文明を築いてきた。そして、今では日本と同じで、世界中の大都市はほとんどが海に面している。それらが、巨大化する台風により、海と山からの挟み撃ちに遭う。そのことで「はじめて」地球温暖化要因は強制的にストップさせられることとなる。それが、持続可能性を無視し、無意味な拡大ばかりに執心してきた「資本主義」の末路だ。今度ばかりは、私は「オオカミ少年」とはならない。科学者とスーパーコンピューターが、総力を挙げて予見した近未来には「嘘はないし、計算違いもない!」

一度、変動した気候は、すぐには元に戻らない。だから、大都市部の壊滅的な被害は毎年のようにやってきて、大都会を廃墟と化すまで続くこととなる。地方でも今回のような河川の氾濫は、無防備のまま繰り返されるだろうが、海との挟み撃ちは免れる。また、農地など生産手段は細々であれ残されるため、地方が廃墟と化すまでには至らない。そこで、私達は、地方を足場に再生を果たして行くことになるのだろう。(ただ一つ心配になることは、日本各地に散在する原発だ。ほとんどが海沿いに建設されているこの原子力発電所を安全に停止させ、無害化させるだけの時間はあるのか?今の政府に任せていては間に合わないことだけは確かだが...。)

(つづく)


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未来への投資


具体的には、どうすれば良いか?はそれほど難しい話ではない。まずは、現状分析をして、二つのことを始める。

1.一つは「もう既に頻発してしまっている風水害に対し、想定を改め、直ちにきちんとした対応を取る。」堤防そのものの嵩上げと都市部に於ける下水の処理能力の向上だ。お金なら、道路にかけている無駄な予算を振り向ければ良い。堤防の決壊がもたらす経済的な損失は、無策でいれば、如何様にも拡大する。そのことにきちんと向き合い、被害をこれ以上広げない発想を持たなくてはならないのは政治家だけではない。私達一人一人が、そうした「視野」を持つことが何よりも大切なことだ。

2.もう一つは、「持続可能な社会、持続可能な地球への思い」を新たにすることだ。炭素社会が地球温暖化の元凶だ。元々、生まれたての地球は、灼熱地獄そのものだった。地球内部は今でもマグマを抱えているが、海の存在が長い年月をかけ、地上の生物が過ごし易い環境をもたらした。が、産業革命以降、石炭・石油等の化石燃料を掘り起こし、燃料・エネルギーとした。それが、資本主義の発達を通して浪費社会を生み、地球温暖化→気候変動を引き起こしてきた。が、人類の知恵は、既にいくつもの「再生可能エネルギー及び再生可能エネルギー発電」を可能としている。私は、その内の一番古く馴染みのある「水力発電」にもっと注力を傾けることが必要だと考えている。以前にも書いたことがあるが、ダムを利用した発電を利用し、夜間電力で再度水をダムの上に押し上げ発電を繰り返す。ダムそのものを大きな蓄電池と考えれば、それこそ、この再生可能エネルギーはエンドレスなものとできる。その上、やりかた次第で災害をもたらすものを、各地で制御できる知恵も得られて行く。
「水の惑星」と呼ばれる地球で、この資源を生かさない手はない。この事業を、国や県が独占するのではなく、民間にも門戸を開けば、山国である日本の地方経済は活性化される。それは、私がかねがね言っている天然水の製造販売についても言えることだ。

資源を活かす。その究極が、「唯一の再生資源である水」を活かすことだ。なぜなら、その点に気づけば、人類は「未来永劫」に渡り、「水の惑星」の恩恵に浴せるからだ。勿論、地球にもいつか終わりが来る。が、それは人間が想定し得る程、短い時間内に起こることではない。しかし、つまらぬ「欲得」とか「利便性」ばかりを今の様に追い求めて行けば、私達は容易に生態系の頂点から引きずり降ろされることとなる。人間は、地球が長い時間かけて作り上げてきた「生物の楽園」である環境を、無に帰す「力」を得てしまっている。そして、後10年もすれば「取り返しのつかないところに至ってしまう」と、警鐘が鳴らされている。それを、人類が無視するなら、自然は地球の生態系の頂点にいる者を交代させる挙に出るだろう。

教育やメディアの影響力は大きい。私達は「資本主義的発想」を叩き込まれ、後10年ということの「深刻さ」に気づくことができない。後10年しかないのだから「直ちに行動を!」を言う16歳の少女の「声」にも、科学者たちの「声」にも私達はまともに耳を傾けることをしない。ノーベル平和賞をグレタ・トゥンベリさん に授ける機会を逸した。ノーベル財団は、たった10年しかない期限に対し、「直ちに行動を!」取らねばならない「機運」に水を差した。そして、日本では台風19号の惨事を経験しても、政治への不満・不信の声が上がらない。古来より、「治水」は「まつりごと」の要だ。生産力の向上には欠かすことができないばかりではなく、民の安らかな生活のために、「治水」は最も重要で優先すべき政治課題だった。昨日の日経電子版では、「ハザードマップが活かしきれていない」と報じている。だが、これを活用しないのは、このマップを作成した政府に他ならない。これだけの危険度を明らかにしておきながら、それをずーっと放置しているのは政府なのだからだ。

(つづく)

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未来への投資


一方で、資本主義のエンジンだった銀行は、その本分である金貸し業ではもう成り立たない。資本主義の言う「資本が利潤を生み出す」という考え方も、中産階級の増加の果てに大企業だけでは成り立つが、中小では「利潤は給与とイコール」となって久しい。これでは、増えてしまった人口を賄い切れないし、中小企業は「大廃業時代の洗礼」を真正面から受けることとなる。200年以上に及ぶ、資本主義社会は「そのツケ」を払う局面に入ったということだ。あまりにも、生産・製造に関わる人が少なすぎる。そして、気候変動が原因で農業も水産業も収穫は減る一方となる。この帳尻は、一体誰が?どう合わせて行こうとしているのか?
そうした時代を、私たちは生きている。自分たちが「覚悟」を持って構え、自らの糧は自らの力で得て行かないと、誰かが面倒を見てくることなどない。そのことだけは知っておきたい。

「未来への投資」を書き続けている間に、今度は台風19号がやってきた。15号と同じ様な場所で生まれ、勢力を日増しに高めながら「あっという間に」日本に迫り、首都圏を縦断し東北に至るまで、甚大な被害を広げた。7県で71に及ぶ河川が決壊し、自然の猛威と人間の想定の低さを、見事なまでに映し出すこととなった。
この間、私達は「命を守る行動を!」という言葉を一体何度聞かされたか?今こそ、その言葉を、「すべてを想定外と言う言葉で誤魔化そうとしている」政府に向けて発すべきだと私は思う。「政府は直ちに、国民の命を守る行動を!」起こすべきだと。風水害の巨大化は、地球温暖化と無縁でないことはもう誰もが知っている。ならば、「ことがこれ以上悪化を辿らない」ようにすることこそ、政治の役割ではないか?

(つづく)

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未来への投資


⚫資本主義が終わる

私の言うことが人々に伝わらないのは、私が繰り返しこの「資本主義が終わる」ということを念仏のように唱えて来たからに他ならない。人はある日突然の如く、「それまでの体制が崩れ去る」のを、「(眼の前で)見たことがない」。だから、「資本主義が終わる」という話は唐突すぎて、誰もそれを現実に起きることとはイメージできない。が、資本主義の「腹違いの兄弟」だった「共産主義」は既に地球上から姿を消した。多くの人は、もう「共産主義」がどんなものだったか覚えていない。とは言え、姿を消したものは「共産主義を騙った独裁政治」に過ぎない。その意味では「民主主義を騙った資本主義独裁政治」もまた風前の灯火だ。本来、「民主主義」という考え方には、今のように極端な「貧富の差や格差」を受容する余地はない。が、人は目の前で起こっていることであっても、テレビ等のマスメディアで解説されないと、どう解釈していいのか分からない。そういう教育を受けてきた。相容れない事象であっても、メディアがそれを指摘し続ける役割を果たさなければ、誰もそれを問題視しない。つまり、社会現象をわたくし事と捉える回路を、私たちは持ち合わせていないのだ。自然災害にしても、自分の身に起こらないかぎり他人事だ。
私達は、「相当鈍くなっている」。お蔭で、「地球は灼熱地獄と化す」と科学者が言い出しても、ピンと来ない。相も変わらず、他人事だ。科学者の警告は今に始まったことではない!1990年以降、国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC」は、気候変動の証拠を集め、5本に及ぶ包括的評価レポートを作成してきた。が、最新のレポートについては、2つの点で「伝わり方が変わってきた」。一つは、実際に気候変動による風水害が世界中で猛威を奮っている事実だ。もう一つは、スエーデンの16歳のグレタ・トゥンベリさんの登場だ。彼女の訴えには、大人たちの様に「利害や盲信による曇り」がない!それが、同世代の多感な子どもたちの心を揺さぶり、一つの明確な「メッセージ」を発信し始めた。
この二つが、今後「資本主義の存否」を厳しく問うて行くこととなる。「今後の10年以内に、CO2の排出量を0にして行かないと、10年後には地球の平均気温は産業革命時より1.5℃上昇する。その1.5℃(=臨界点)を超すと、人の力では気温上昇を抑え込めなくなり、気温の上昇は止めどないものとなってしまう。」とIPCCは最新のレポートで報告をしている。(氷床や氷河が、猛烈な勢いで溶けている。それが、地球の冷却装置である海洋の働きを阻害し始めている。深層海流の働きで北極海の冷水が太平洋の深海に運ばれ、高い海水温を中和させてきた。その働きが鈍ってきたお陰で、太平洋の海面近くに表層が形成され、深海とは混ざりにくくなってしまっている。それが故に、台風を生む海水温は上昇の一途を辿っている。)1990年以降のそうしたレポートを私達は知らされなかったわけではない。だが、「高をくくって無視して来た」「自分たちに直接関わる話だとは思わないで来た」。「そんな警告よりも、今の快適な生活を手放したくない」。「そんな盲信を信じて、今の経済成長を阻害するようなことはすべきでない」と多くの人たちは、おバカな独裁者トランプと発想を共にして来た。

だが、お蔭で、事態は科学者が予測したよりも早く悪化することとなった。日本を脅かす「台風」の猛威は、その一つの現れだ。その勢いは年を追って増していくが、このまま放置をして収まってくれるものではない。だから、この悪夢のような気候変動は、私達が「悔い改める」までは続いてしまう。
16歳の少女の訴えも、同世代の子供たちやその親たちを巻き込みながら、「経済成長よりも、持続的社会を」というメッセージを人々に発信し続けて行くこととなる。私は、今年のノーベル平和賞は彼女が受賞すると考えている。ノーベル賞の生みの親のノーベルは「ダイナマイトの生みの親」だ。産業革命当時に、鉄道の敷設や鉱山等の採掘にダイナマイトは威力を発揮した。が、それが戦争にも使われるようになり、ノーベルは「死の商人」扱いを受けることとなる。ノーベルはその口惜しさから、人類の発展に寄与する発明をした科学者や平和に貢献した人に、私財を運用して功績を称えるノーベル財団を創設したとされている。持続的社会を押しのけて、ひたすら拡大を目指す資本主義は文字通り「死の商人」以外の何者でもない。そうした流れに対抗しうるのは、欧州の見識しかない。その見識が、自然の猛威と子供たちの叫びを通じて、世界中に広がって行くこととなる。

(つづく)


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未来への投資


人々が今最も気にかけていることは、「将来に対する不安」だ。今の社会はその「不安」に対し答えられるだけの「仕組み」を持ち合わせていない。だから、自分たちが「意識して」その「仕組み」を作り出して行くしかない。おぼろげながら80年位と想定されていた寿命は、20年程伸びて100年となった。ならば、その伸びた20年を如何に「つつがなく」暮らして行くか?昔の様に、「三世代」が自分たちが培ってきた「生きるための知恵」を継承して行くような仕組みを復活させねばならない。同様に、事業も「三世代をワンセットとし、一人の寿命100年を支える」ようなものにして行くことが不可欠だ。平たく言えば、それぞれが望めば「生涯現役を貫ける」仕組みを作り出すということだ。その仕組みは、大きな組織では作り出すことはできない。それを大きな組織(会社)で可能にしてしまうと、その組織に属さない人々は結果的に見放されることとなる。が、小さな組織で、その一つ一つが自立して行くことを目指せば、全体に負荷をかけることなく目標を達成させて行くことができる。その力学が今の「資本主義」にはない。持続可能性という観点が、資本主義には備わっていない。というか、決定的に欠如している。それぞれが積み上げて行く「ノウハウ」は、誰にも真似ができない。だからこそ、それぞれが成り立つ。「継続は、それぞれの違いを蓄積させることで、力を生み出す」。「継続は力なり」と言われる由縁だ。

「お金は天下の回りもの」と称される。それを「回り回ってみんなに行き届く」ような仕組みを作る。それさえできれば、「誰も将来に不安を抱くことはなくなる」。私が言う「資本主義の破局にも耐えられる強い民間組織」とは、銀行からお金を借りず、構成員の誰でも構わないから投じたお金を回して、それをみんなの生涯給与を生む原資とする。そして、その中で余剰が生まれたら、それを資金を投じた人に時間をかけて返して行く。それが完済できれば、会社は必然的に構成員(全員)のものとなる。それを繰り返すことで代替わりを果たして行ければ、常に構成員全員が会社をもり立てて行くという関係性がごく自然に出来上がる。敢えて、人は増やさない。100年という人生をゆったりと堪能できるように、安定的な収入を確保して行くことに重きをおくべきだと、私は考える。もしも、もっと稼ぎたいと思う人が出て来るなら、別な4〜5人の組織を家族で作って行くことを考えれば良い。要は、資本家と労働者という別け隔てを持つ組織では、良い時期は「事なきを得られる」が、どこかで事業がつまずけば、容易く「対応ができなくなる」。それぞれが、お互いを支え合う意識があれば、悪い時をやり過ごすことができる。そんな単純且つ明快なことが、滑稽ではあるが、資本主義的経営ではできない!

10月7日(日)、NHKで「大廃業時代」という番組が放映された。今後1年間で日本全国で廃業に追い込まれる中小企業の数は31万件に及ぶという「予測」が為されていた。番組は、「負債を雪だるま式に増やすよりも、負債を払い切れる内に廃業をした方が良い」とまで言っていた。これが、今の日本の実情であり、政府の態度だ。番組を見て、改めて、「未来は人任せにせず、自分で作って行くしかない」という思いを強くしている。企業を「世襲」で継いで行くという考え方は、間違っている。というか、現状に合っている考え方とは思えない。
31万件に及ぶ廃業候補の企業は、後継者が居ないために「会社の自然死」である「廃業」を選択する他ない。だが、その会社から、糧を得ている人に後を託せば、その会社は引き続き存立して行ける公算は高い。規模が小さければ小さい企業ほど、各人が積み上げるスキルも対応力も高くなる。継ぐ意志が強く、そこから糧を得続けたいと思う人達が継いでいけば、そのプラットフォームたる器はまだまだ相応の利益を生み続けられる。が、経営者が「身内に世襲させること」を漫然と考えているようでは、そんな会社を引き継ごうなどと思う人は現れない。後継者は「泥縄」では作れない。予め、そうした意識を育めるような仕組みを持っていないと、その意識は「急ごしらえ」ではできようがない。だから、31万社に及ぶおびただしい数の企業は、「自然死」ではなく、「自殺」に追い込まれ、建物や設備は「廃棄物」と化してしまうこととなる。私達の社会は、そうした「廃棄物」という無駄の始末さえまともにできないまま、それらに埋もれて行こうとしている...。

(つづく)

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